漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

FSネットフォーラム「教育・学校のシステムはどうかわるべきか」

■今年で三回目の北海道フリースクール等ネット主催のフォーラム。今回は漂流教室、札幌自由が丘学園、フリースクールそらの三施設に子供が在籍している保護者の話しを聞き、シンポジウム形式で行われた。

■三人の話しに共通している事が数点あった。まず、学校が万人にとって適合することはないということ。一斉授業の形式でやっている限り、個別の対応が原理的に難しいことがまずある。原理的にそうである上に、方向性として同じことを同じようにできることを「教育」と考えてしまっては、必ず取り残される人が出る仕組みができあがる。これは学習だけでなく、部活動・生徒会活動・諸行事・友人関係すべてに渡って見られる、学校の特徴になっている。その時に取り残された人を拾い上げる網があれば、問題とはならないのだが、それが無いのが問題だ。不登校をしている子供の話しを聞くと、何らかの取り残され感覚があることは多い。

■次に、学校に子供が通わなくなった時、学校と保護者の間のやり取りが戦いのようになってしまう現状がある。不登校になった子供と関わるときには、学校の生徒という立場ではなく一人の人間として相手と付き合う必要がある。学校という場から出たところで生きていたいという相手の立場に共感的に付き合わなければ、まず話しをすることすらできないからだ。しかし、教師や学校というシステムは、その柔軟性に欠けるきらいがある。ところで、保護者は子供を人間として育てているのであり、学校の生徒として育てているのではない。そうなると、学校と保護者が子供について話しをする時に、かみ合わないのが当然だ。さて、ここで一つ忘れられているのが、子供の立場だ。彼らの望むところをまず確認した上で、自分たちがどう関わろうとするか、改めて話し合うことができればベストだと思う。

■三点目に、子供の有り様を認める中でめざましい成長を子供が遂げることが挙げられる。フリースクールでは、学校ならばダメと言われる有り様がほぼ認められる。それはわがままではない。それこそが、一点目で挙げられた、取り残される原因であり、二点目で出てきた子供が望む場を考える起点だ。そこでどのように子供が変化するのかを見る余裕を持った上で、その変化を促進する育ちの場を形成していく柔軟性がフリースクールにはある。

■四点目として、発達障害を持っている子供に対する学校の関わりの難しさがあった。教師だけではなく、スクールカウンセラー、医療、福祉といった複数の関わりが必要になる時、学校は連携をとることが難しい。学校は人間形成の場であるという考え方をちょっとだけ変えて、人間形成の場の一つと考えれば、他の機関との連携はやりやすくなるのだけれども、どうも自分たちが中心であるという認識が抜けないようだ。

■保護者の話しの後、参加していた道議、札幌市議からも発言があった。フリースクールが果たしている役割は紛れもなく教育であるのに、現行の法制度上は行政から支援を受けることはできない。しかし、福岡、川崎といった自治体では、経済的支援も行われている。道議からは、道としてフリースクールについての検討委員会のような会議体を作る方針が述べられていた。先行している自治体の例を参考に、是非進めて欲しい。

■終了後の懇親会は、話しをした保護者や関係者が久しぶりにじっくりと話して飲んでいた。うまい酒だった。また来年、といわず早い内にまた話しができるといいなあ。(2/8夕)