■知人と、共に働くなら精神面が健康な人だよな、という話をしていて、ふと山口瞳の『礼儀作法入門 (新潮文庫)』を思い出した。礼儀作法について思うところを記した本で、イの一番に「まず健康であらねばならぬ」と書かれている。(健康じゃない人間は礼儀知らずだと言ってるわけではないので念のため)
■それで何となく読み返してたら、おやと思う文章に出会った。全然記憶にないから、前に読んだときは読み飛ばしたに違いない。卒業式、入学式について書いた章で、ある校長先生から聞いた話が元になっている。
別の日に、その校長先生は、こんなことを言った。
校庭に一人だけ、ポツンと生徒が立っている。たとえば土曜日の暮れ方であったとする。その生徒は、そうやって、英語の単語でも暗記しようとしているのかもしれない。校長は、そういう姿を見るとたまらなくなる。その生徒は、あるいは自分の志望する学校に進学できなくて、浪人中であって、母校にふらふらと入ってきてしまった生徒である。
校長は、そういうとき、仕事を放りだして校庭へ駈けてゆくという。
そうして「おい!」と声をかける。「おい、××君! どうしている?」。肩をたたくこともある。「おい××君、勉強しているかい?」
どうしてもそうせずにはいられないそうだ。そうして、教育とは、教育の役目とは、そのことに尽きるのではないかと言う。教育とは生徒に声をかけてやることではないか。校長は、むしろ絶望的な調子で、それ以上のことはできないと言った。
■この「声をかける」は、あちこちで行われてる「あいさつ・声かけ運動」とは違う。あれはその先に目的がある。子供の安全を守る、犯罪を減らす、非行の芽を摘む、といった「やる側の都合」が先ずあって、そこに子供が利用されてるだけだ(関係ないが、『こえかけ』って語感はどーよ。どうやっても『肥かけ』に聞こえるぜ)。
■校長先生の言ってることはそうじゃない。声をかけること、それ自体をしている。そこにあるのは、子供との1対1の関係だ。
■生徒に声をかけてやることが教育なのかは分からない。しかし、やる側の都合で導こうとしてもうまく行かないということは分かる。目的じゃなく、関係が重要なのだ。子供のために、そうしなきゃならないからする。それ以上はできない。まるでボブ・ディランだ。
All ya can do is do what you must.
You do what you must do and ya do it well,
I'll do it for you, honey baby,
Can't you tell?
「出来ることはしなきゃならないことなんだ。やるべきことをやるだけさ」って、ほらね。「BUCKETS OF RAIN」でしょ。そして、だったらきっと上手くいくのだ。結果じゃないんだ、行動自体が肝要なんだぜ、という話はこの日誌でもずいぶん書いたから、これ以上は繰り返さない。
■「BUCKETS OF RAIN」は、「精神面が健康な人」という話をしたときに思い浮かべた歌でもあった。人間、あんまり健康じゃないときに限って、やたらと他人に何かしたがったり、抱え込みたがったりするものだ。出来ないことなのに、やるべきことじゃないのに、やろうとする。そりゃ失敗もするさ。
■今日も訪問、明日も訪問。明後日は当然いつも通りで、三連休なんてどこの国の話やら。でも、いいのさ。やるべきことをやるだけだ。