漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

率業式

■子供が漂着教室に一人も来なかったのは二週間以上ぶりになるのか。また明日からは来る予定だがね。

■今日で二月は終わり。「三月といえば卒業式です」なんて言葉をラジオで聞きつつ漂着教室へ車を走らせるのだが、今日の訪問先の中三生は二人とも事情があって卒業式には出ない。そして、ぼくらは学校に関係なく訪問を続ける。そんな立場から学校の卒業式を茶化してやろうというイベントを企画した。題して「率業式」。ぱっと見、「卒業式」に見えるが、実は全然関係なく集まってカレーでも食べようかというイベント。3月25日にやります。詳細はまたお知らせします。

■前回のクイズの答えは「ウガンダ」でした。「うぅ、ウガンダー!」と叫んでベムは変身するのだ。なかなか滑稽なのでDVDなどで確認するよろし。

■こんなことを考えてみた。次の文の○○に当てはまる言葉を色々と考えてみると面白い。

今の世の中、○○が当たり前のようにあり、便利だ・重要だと思っている。だが、我々は○○無しでずっと生活してきた。それで全く困らなかったのに、今は○○が無いと大変不便に感じる。果たして、○○は本当に必要なものなのだろうか。我々は○○によって生きる力をどこか失ってはいないだろうか。

「携帯電話」や「パソコン」だと良く聞くセリフになり、語り手に賛同する人も多そうだ。ところが「火」とか「刃物」だと何をバカなという思いになる。「火をおこすことが出来ない子供」とか「刃物を使えない子供」といった話しは子供の生きる力の低下として語られて、「まったく自然体験は重要ですね」なんて言う人が多いことを考えると面白い。では、「冷蔵庫」とか「洗濯機」だとどうだろうか。ぼくはちょくちょく「食育なんて冷蔵庫のコンセントを一ヶ月外した生活をしてみればよろしい」と語っているが、そんな話しとつながりそうだ。これらにはうなずく人と屁理屈だと感じる人が半々くらいになるのだろうか。

■さて、こう考えてみると、この形で語られることへの賛成/反対は、この論理構成によって導かれるものではなく、○○に対してその人がどう思っているかに左右されることがわかるだろう。一見論理的・批評的に見えて、実はその人の○○への好悪に依っているのだ。見かけたら「ああ、あなたは○○がいいと思ってないのね」くらいのことを返し、その人が○○についてどのように思っているかを語り合う方が面白く人とつきあえる。ぼくは大人げなく、「何言ってやがる」みたいに思っちゃうけど。次回は「○○は□□をして初めて得ることのできるものだ」という言葉を考えてみよう。