■5/5のあんみつさんのコメントから。
そうした場合は、その子にとって、学ぶということ=嫌なことになっていることもあるのでは、と思うわけ。すると、その子は内心「これでいいのかな?と気にしつつも、自分からはなかなか「勉強してみたいから教えて」とは言わないかも。新しいことを学ぶということに対して、またわからなかったらどうしようとか、子どもも内心色々考えているかもしれないでょ。そういう場合のことを考えていました。もちろん、訪問は学習支援とメンタルフレンドに分かれていることは知っていますが、メンタルフレンドの枠の中でも、子どもに「やっぱり学びたい」と思わせるようなきっかけを作ったりはしないのかな、と思ったので。
結論から言うと、そういう「きっかけ」を作ることはありません。それはメンタルフレンドの仕事ではないと考えます。
■大体、「勉強してみたいから教えて」と言い出せないことと、「やっぱり学びたい」と思わせるようなきっかけを作ることは、本来つながりません。それが上の文ではつながっている。つながらないものをつないだのは、「子供に被せた自分の(この場合はあんみつさんの)思惑」だと俺は思います。
■これが、「勉強してみたいから教えて」と思いながら言えない子に、切り出すきっかけを与える、なら話は別です。というか、勉強してみたいと言い出せない子への「きっかけ」なら、そうならなきゃおかしい。ところが人は、往々にしてそこに自分の思惑を混ぜてきます。そうすると、上の文のようになります。
■「勉強してみたいから教えて」と言い出せない主体は子供です。では、「やっぱり学びたい」と思わせるようなきっかけを欲す主体は誰ですか。それは誰のリクエストでしょうか。
■メンタルフレンドの仕事は、主に会話を通じて、子供が「内心色々考えている」ことを整理し、「これでいいのかな?」から「勉強してみたいから教えて」までの間(または『今は勉強したくない』までの間)を、一緒に確認して埋めていくことだと思います。時間はかかります。そのことへの悩みがないとは言いません。それでも、自分の思惑を子供の思惑に摩り替えないために、「察する」だけでなく、丁寧な意思確認が要ると考えています。
■訪問は1件休みで2件。ゲームしたり勉強したり雑談したり。空いた時間で日誌を書いたり。はてなには繋がったり繋がらなかったり。帰宅後、全部書き直したり。