漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

そんなもんか否か

■「『ふたりの愛ランド』。石川優子さんとチャゲの歌です」とは、ラジオで聞いたNHKアナウンサーの曲紹介。なんか可笑しい。

■「殴る先生」というのは小中高とやっぱりいて、でもそれは「体罰」ではなかったような気がする。癇に障ったとか、虫の居所が悪かったとか、個人的な側面が強かったのじゃないか(向こうは教育的指導と思っていたかもしれないが)。暴力といえば暴力だが、まあそんなもんだろうと思っていたので、そうイヤではなかった。教師だって人間だ。たまには手も出るだろう。口より手のほうが早い先生だっているだろう。イライラしてることだってあるだろう。いろいろ含め、そんなもんだ。元々こっちだってそう褒められた生徒じゃない。それに、そうしつこくはなかったし。

■というわけで、殴られて訴えたこともない代わり、殴られて態度が改まったというようなこともないのだった。だから、「体罰の必要性」「体罰の教育的効果」というのも俺にはよくわからない。俺が気にするのは、そんなもんと思えるか否か。問題とするのはそこだけだ。今回の駒大苫小牧の件では、殴られた生徒がどう思っているのかが聞こえてこない。そりゃ、親はそんなもんだとは思えないだろう。思えなきゃ訴えるだろう。じゃあ、本人はどうなのか。そんなもんなのか、そうじゃないのか。外野が騒げば騒ぐほど、彼も自分の思いを言いづらい。関係ない人間は黙って成り行きを見てるのがいい。そして、どんな結果になっても、訴え出た人たちが肩身の狭い思いをしなければいい。

■1件休みになってしまったので、訪問は午前中の1件のみ。その後はセンターで通信を作り、夜から月例「こどものこころ研究会」。何をやったかは、まだ行ってないのでわからない。いつも訪問してる時間がぽっかりと空いたので、日誌を書いてみた。あ、すぐそばで火事が。見に行かねば。野次馬野次馬。(8/24夕方)


■火事は工事中のビルからの出火。空を覆った黒煙はウレタンが燃えたせいらしい。死人は出ず。よかったよかった。研究会のテーマは吃音について。初めて聞く話も多く、興味深かった。そうそう、書き忘れていたが、俺は体罰を「愛の鞭」と思ったこともありません。そんな愛はいらない。まあ暴力だろうが、俺にはそんなもんだと思えた、ということです。恨んじゃいないが別に感謝してるわけでもない。まして、肯定なんてしない。そんなもんと思えないような暴力なら尚更です。(8/24夜)


本日の脳内BGM:ふたりの愛ランド(石川優子チャゲ