漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

内容以前の出来

■内容以前に、安倍総理の意向に左右されている時点で、教育再生会議の提言には意味がない。何のために各界から人を集めたのか。学校の勉強なぞ出来なくてもいい。うちの会社はもっと別の能力を求めている。学力だけが全てではない。面子を見れば、そういう意見が出たって構わないはずだ。ひとつの視点しかないなら、集めただけムダだ。おまけにそのひとつが「総理の意向」じゃ、御用会議にもほどがある。

■「体罰」については、相変わらず「教育的効果」は信じてない。

つまり、力による指導は行わないことが基本だが、やむを得ず起こったことまで全否定しないという立場だ。だから、実際起こってしまった場合には、その意味合いを十分に生徒が理解できる上でのことであったか吟味し、違うならしっかりフォローするように教師が動くことで教育に幾分か意味を持つようにするしかないだろう。

昨日の山田の日誌からだが、教師が力による指導をしてしまったとして、そのフォローをするのも教師なのが引っかかる。「やむを得ず」は何がどう「やむを得ない」のか。自分の都合を「教育」で糊塗するのは俺の好むところではない(多分、山田もそうなはず)。「体罰」はそうなる要素があまりに多い。一切認めない、くらいで丁度いいのじゃないか。ただ、行為ではなく、教師と子供の関係を見て欲しいという気持ちはある。やられた側が気にしてない、ということはあるからだ。でも、そこに「教育的効果」という冠はいらない。以上、前に書いたことの繰り返し。

■午前中に訪問1件。そり滑りに雪合戦で雪まみれになる。その後、説明訪問1件。新規訪問決まる。女性スタッフは増えたので、女の子のところへの訪問は対応できるようになった。後は男の子だな。知り合いの学生にも宣伝を頼んでいるのだが、はかばかしい返事はない。

■入試の験担ぎでキットカットやポッキーが人気、とラジオで聞く。キットカットは「きっと勝つ」、ポッキーは逆さに読むと「吉報」だから、というのだが、どうだろう。キットカットはそのまま「きっとカット」で足切り確定、逆さにして「吉報」ならすなわち「凶報」だ。縁起がいいとは思えない。こうやってわざと逆を言って、縁起担ぎの呉服屋に嫌がらせする落語があったが、そうでもなくちゃ、俺の好きな東鳩オールレーズンなんて「オール0でズンと沈む」になっちゃうじゃないか。そんな言葉遊び、やめちゃえやめちゃえ。しかしまあ、ものが菓子だけに当分(糖分)続くでしょう。