漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

まとめて返信

■昨日の高橋くんの日誌。反対に「せっかくつくった」ものを惜しげもなく捨てる子もいるよね。あまりの潔さにこっちが焦る。え、あんなにがんばったのに、と。でも、それもこちらの勝手な思い入れなんだよね。気持ちのずれは思わぬところで現れる。

■一昨日の茂木さんの日誌。走らなきゃ間に合わないようなものはあきらめると高校一年の春に決めてから、ずいぶん楽になりました。それで遅刻になるなら遅刻でいい。怒られるなら怒られるでいい。でも飛行機に乗り遅れそうになったときだけは走りました。

■火曜日の泰貴の日誌。俺はテレビ番組がそうで、シリーズもののアニメやドラマを一気見すると疲れるのです。一週間に一度くらいのペースがいい。次を見るまでのあいだ、あーだこーだと想像しているのがまた楽しい。訪問もそういうところがあるなと思います。毎日行ってたらきっとイヤになる。あれ? そうすると学校は?

■月曜の山田の日誌。俺は落描きした絵が捨てられない。パソコンに取り込んだり、完成させてしまったものでも、下絵を残してしまう。要らないってわかってるんだけどね。見返すこともないし使うこともない。それでも捨てられないのは、絵から思考の流れが見えるからです。着想や迷い、試行錯誤の過程がラフスケッチには記録されている。そう、記録なんですよ。読み取り可能なの。そう考えると、もっといろんなものに知らず知らず記録している気がしてきた。まずい、ものが捨てられなくなる。

確かに

■こんにちは、ボラスタ高橋です。自分も中学生の時の数学のノートが捨てられません。むしろその時存在していたという証として大事にとっておこうとも思います。もう10何年も前なので思い出に思い出が重なってスノーボールしてる感じで、原型はもはやないんでしょうけど、まあそれでもいいと思うんです。

■先日とある親子が遊んでいて、その様子を第三者が見るという場面がありました。5才の子が折り紙を折っていて、遊びの終わりの時間になり、その親子に別の方が「じゃあおしまいね」と伝えに行きました。ただ、次には「じゃあおかたづけしようね」とゴミ箱を持ってきて、折った折り紙を捨てるよう促していました。とってもフレッシュな思い出ですが、「楽しく」「せっかく作った」という属性を帯びた折り紙について、捨てることを促すというのは、気持ちのズレがあると感じました。

■これはまだ客観的にわかりやすいですが、でも結構難しいんですよね。自分もやっちゃいがち。だから気持ちを確かめ合いながら関わらないといけないですよね。

っていう仕事の話をちょっと書きなぐった日誌です。そんな日もあります。

ちょっと元気がない時

■急に寒くなったので風邪をひきそうです。

■ちょっと走れば間に合う信号とか電車を見送る時ってちょっと疲れている時だなぁと最近思います。そのちょっとを頑張る元気がない、出ない。そういう時は無理に走るんじゃなくて、のんびり次の信号や電車を待ったらいいんじゃない。と自分に言い聞かせながら、全力で走りました。私は元気です。

ボードゲーム部はいつにしようか。年内に出来たらいいなぁ。鍋が食べたいです。

一緒にいることの大変さ

■皆さんこんにちはボラスタの山川です。

■最近色々な人とお酒を飲む機会が立て続けにありました。凄い楽しかった。楽しかったのですが、同時に一緒にいることの「大変さ」を痛感しました。たまにしか合わなかったりする人ならば、さほど気にもならないのですが3~4日立て続けに会ってると、その分その人を見ているのが長くなるためしばらく会わなくてもいいかなぁってなってくるんですよね。漂着教室に通っていた頃、確か高校生の時だったかな。しばらく漂着に行かなかった時期があったんですよね。部活とか、友達、先輩と遊ぶようになって、ずっと通っていた漂着を一旦休憩みたいな感じになって、たまに行こうみたいな風に使っていたんですよね。人も場所もたまに会うからいいって改めて思いました。ずっと一緒にいるのは多分自分が疲れてしまうんだろう。だから会っても基本は帰宅するようにしています。誰かの家に泊まらないのもそれがあります。人の家ってやけに気を遣ってしまうんですよね。だって人の家だもの。

■でも飲みの誘いとかはすごく嬉しいのでついついお金が無くても顔を出してしまいます。そこで「やまたいじゃ~ん」って声をかけてくれるのはすごく嬉しい事であり、覚えられているなって感じます。なのでたまに色んな所に顔を出してみます。ではまた。

おかたづけ

■ソウアライブ仕事の中で得た気づき。所有している物品では無く外在化した記憶を捨てられないという場合がある。例えば、丁寧に取った授業のノートや誰かからの大事な手紙がそれ。自分はCDや雑誌なんかもそうなることがある。それらが汚れてゴミの中に埋もれていてすぐに取り出せないような状態でも、ノートや手紙をいつも取り出して眺めるような状態にすることが無いように、特に気にならない。しかし、周りからはゴミと見られ、捨てろ整理しろと言われる。その時に結構葛藤や反発が起こるのだが、それは物として扱われているからであろう。もしかすると「もうそれは忘れてしまってもいいことでは」「もうその情報は古いのでは」と情報を記憶から無くすような関わり方をすれば、他人から見れば「物を捨てる」という行為に繋がるのではないだろうか。

■今晩は天気が荒れるらしい。札幌での一日のコロナウイルス感染者数が最大になった。どちらも気持ちがそわそわするような情報だ。

秋の謎解き

芸術の森の謎解きイベントに行ってきた。さすがハードモード、解ききらず最後の問題を持ち帰り。大通公園でも謎解きやってるんだよね。芸術の森のが終わったら、そっちもやりたいな。

芸術の森の木々はもう紅葉がはじまっていた。ドングリや栗の実が散らばり、そうそう雪虫も飛んでいたよ。すっかり秋どころか冬が見えてきた。

■訪問先や中学校の相談室の子たちがいろいろアニメを教えてくれるので、とりあえずいろいろ見ている。続けて見るかは不明。いま一番の楽しみは日曜夜のドラマ、「アンという名の少女」。シーズン3までやってくれるかな。

10月の漂着教室

■今月も特段の予定はありません。いつも通りの漂着教室です。最近、少し来る人が増えているので手洗い、うがいを欠かさないよう。マスクもたくさんあるので、忘れたら言ってください。