漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

そういうやり方

Amazonのほしいものリストに入れていたからか、『「多様な教育機会」をつむぐ――ジレンマとともにある可能性 (公教育の再編と子どもの福祉)』『「多様な教育機会」から問う――ジレンマを解きほぐすために (公教育の再編と子どもの福祉)』が届いた。匿名で送り主はわからず。どなたか存じませんがありがとうございます。

■10月2日に「CHOICE 学びの選択肢を広げよう!」というイベントがあったらしい。明石市と東京で開催したものを札幌へも持ってきた。「CHOICE北海道を通じ、フリースクール同士で繋がり、通うこども達同士も繋がり、北海道のこども達の選択肢を増やし、もっと自由に選んでいい、そんな選択肢の可能性を伝えるイベント」だそう。漂流教室や北海道フリースクール等ネットワークには特段案内はなかったけれど、どこか参加したのかな。

■10月19日と11月2日には、おなじ人が発起人で「トップページ | オモロー授業発表会」なるイベントが開かれる。子供主体のユニークな授業をしている先生を招いて教員や保護者が学び合う会だそう。こういう動きがいまの主流なんだなと思う。誰かが旗を立て、あちこちで個人があつまってイベントを開く。「♯不登校は不幸じゃない」もフリースクール利用補助の一斉請願もそうだった。なんなら闇バイトもおなじ仕組みだ。

■それだけ個人の発信力が高まったということなんだろう。組織をつくらずとも、ひとりでもできることが増えた。それを支えるツールもある。それはきっといいことなんだろう。そもそも自分自身にも馴染みがある。いまから9年前か、「しゃかいさんか2」は小さな組織の運営を通して自分自身のマネジメントを考えるイベントだった。不安定な世の中を渡るには、きっとそのスキルがいると当時は思った。

■いまもそう思ってはいるが、同時にウンザリもしている。ずっと個人を売り込まねばならないのは疲れないか。自分は何者なのか、なにをしたいか、なにができるか。個人のライフハックとしてそうなってしまう面はある。だが、そのアピールは子供へ向けた「何者かになれ」とのメッセージにもなる。なんだかもう社会参加自体イヤになってしまって、イベントもやめてしまった。それよりサボタージュの方がいい。

■といって個人発信がダメだってわけじゃない。ひとりでやった方が楽だよなと思う瞬間はある。ひとりでなんでもできた方がいいだろうと、やっぱり思ってしまうし。組織はね。面倒なのよね。それなのになぜ漂流教室NPOを選んだのか。なぜネットワークへ加盟したのか。22年前の自分に聞いてみないと。

■昨日の朝、雪虫を見た。今朝は雨。寒い。