漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

喩えばかりの話

■なんだかおもしろそうなタイトルの記事が流れてきたので読んでみた。

news.yahoo.co.jp

■かつてフリースクールは教育行政からは「存在しない」幽霊のようなものだった。だが最近、少しずつ実体を持ち、教育機会確保法によって法律に組み込まれるまでになった。そのことで得たものもあるが、一方で失ったものもある。制度の外にいたが故の批評性。システムに組み込まれることを拒否することで、システムの根本を問う。そのように「境界」に位置してしまうものが世の中にはある。フリースクールには以前の「幽霊」の位置にいてほしい。おおよそそんな内容。

■言っていることはわかる。だって「漂流教室」だから。どこにも属さない、此岸と彼岸の「あわい」からああでもないこうでもないとぶつくさ言っているのがこの日誌です。無意味、無目的を保とうとすると、どうしてもそういう曖昧な領域にとどまらざるを得ない。

■だから漂流教室が「幽霊」なのはいいのだ(しかし、それでは幽霊船ではないか)。だが、設立当初から学校を目指していたところもある。そういう団体は教育行政の無理解に歯がみしながら幽霊に甘んじていた。学習支援団体としてスタートしたはいいが早々に行き詰まり、幽霊となってふらふらしているうち境い目が住み心地よくなってしまった漂流教室のようなところもあるが、「早く人間になりたい」と願っていたところも多い。


妖怪人間ベム オープニング

■妖怪人間を出しておいてなんだけど、それより人魚姫の方が適当かな(幽霊やらなにやら喩えがあちこち飛んで申し訳ない)。人間にあこがれて、人間とおなじ姿を手に入れたけど代わりに「声」を失った。「声」はそのまま批評性と読み替えていい。俺はそれはつまらないし弊害も多いと思うけれど、だから漂流教室も実体を持つことから遠ざかる活動になっているけれど、初期から理想の学校を目指してきたフリースクールの「人間になりたい」願いは無下にできないもの。あるいは漂流教室のほかのスタッフや理事から「幽霊はいやです。やっぱり人間になりたいです」って言われたら考えちゃうし。

■まあ、教育機会確保法はね。「人間になれる魔法」じゃないからな。「人間扱いしてやらなくもない魔法」だから。いや、「人間と思いたいなら思えば」くらいかな。だから、ぜんぜん満足できないけどね。