漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

横に立つ

■「ハンダラ」というキャラクターがいる。パレスチナの風刺漫画家、ナージーアル・アリーが描くいつも背中を向けている少年だ。イスラエルの大規模侵攻を非難するイタリアの漫画家たちが、自身のキャラクターの後姿をハンダラと並べ即時停戦を訴えた。日本でもキャンペーンが始まった

■たまたま通信の一コマでハンダラと漂流男を並べる絵を描いていた。俺は漫画家じゃないのでこのキャンペーンには参加できないけれど、団体のSNSに上げる分にはかまわないだろうとfacebookに絵をアップした。その瞬間、ぞわっとした。俺はいままで、東京シューレの性加害事件で、こうやって横に立つ姿勢を一度でも見せたことがあったろうか。途端にこれまでのいろいろが腑に落ちた。

■横に立つとは「おなじ方向を見る」ということだ。事件には人一倍関心を払ってきたつもりだったし抗議もしてきたが、どこに立ちなにを見ていたか。自身は動かず遠くで関心を寄せてもいつもの景色しか見えない。なまじ業界にいる分、これまでの関係性に引っ張られる。それは加害側の視点に近い。二次加害だって起こすだろう。それでいて遠くパレスチナには横に立って見せる。あまりにグロテスクだ。

■そばにいるとはどういうことなのか。漂流教室は「ただいる、ただある」をモットーに掲げてきた。「子供の側に立って」と言い、そうしてきたつもりだったが、「いる」についていま一度根底から見直さねばならない。遅きに失したのは否めないが、ようやくピントがあった感がある。これまでもそう感じては失敗しているので過信は禁物だけど。というより、ここに書いたようなことを理解していなかったわけじゃないはずで、むしろ、ある特定の分野で鈍くなる、機能しなくなる点が課題だろう。自己点検を怠らない。

■シューレの事件については江別のもぐらの会が時系列でまとめている。リンクを貼っておく。俺を含むここには出てこない周囲の二次加害はもっとある。よけいな負担を増やしているとつくづく情けない。

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