■新たな不登校を生まない魅力的な学校づくりに邁進している学校で不登校になった人は、どんな思いを抱くのだろう。
■教師は「まだまだ自分たちのやり方では足りないのだ」と反省してその不登校の人がまた登校できるような学校にしていこうとするのだろう。包摂度を高めていくとも言える。でも、それは決して学校という仕組みから自由になることを許しはしないということでもある。相手を罰するような言葉が行くことは無い。しかし、破壊不能な権力として存在しようとするのだ。
■素敵なみんなの学校、すべての人が包摂される学校というユートピア的な話しが映画になったりニュースになったりする。でも、それは実は強大な権力の存在を崇め奉るということでもあることに気付いて欲しい。
■あるいはこうも言える。「全国民がいつでも好きなだけ食事を取れるように食堂を作りました。これからみなさんは自分でご飯を考える必要はありません。いつもここに来て食べてください。他のところに行く必要はありません。不満があれば、みなさんの不満をお聞きして改善していきます」という食堂を作ろうというのが、不登校を生まない魅力的な学校を作ることだ、と。「自分で作りたいです」というリクエストをも飲み込んで拡大していくのだ。それはユートピアだろうか。(木曜日)