漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

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不登校新聞最新号の特集は絵本作家ヨシタケシンスケへのインタビュー。ヨシタケシンスケの絵本は俺にはいまいちピンと来ないんだけど、この記事はおもしろかった。下記リンク先では途中までしか読めないので、一ヶ月のお試し購読をするか、漂流教室の事務所に来れば読めます。
futoko.publishers.fm

■10月30日は北大教育学部の講義でゲストとして話してきました。教育機会確保法施行後の動向について。こういうテーマをもらったときは、2002年に漂流教室を始めたころの自分が現在を見たらどう思うか、ということを考えます。中学校全校にスクールカウンセラーが配置され、スクールソーシャルワーカーの制度があり、民間人が相談支援パートナーとして学校へ入る。特別支援コーディネーターがおり、福祉や医療との連携が進み、若者サポートステーションができ、通信制高校が増え、限定的ではあるがフリースクールへの経済支援も行われている。公立の夜間中学校をつくることが決まり、インターネットを介して個別に学びたいものを学ぶ仕組みも進みそう。あれ? ずいぶん充実しているんじゃないかなあ。

■でも、実際にはそうは思えない。ひとつには「格差」の壁があること。この17年で日本の経済はずいぶん悪くなりました。「選択」といっても選べるのは限られた家庭、子供だけだったりします。

■もうひとつは「休息」がないがしろにされているから。「学校へ行きたくない」のが不登校なのに、出てくるのは「どこへ行くか」という話ばかりです。そんなことより休ませてくれという声を当の本人たちからずいぶん聞いたし、ここにもずいぶん書きました。いくら選択肢が増えてもサポートが手厚くなっても、肝心の「休息」への意識は実は変わっていません。

■自分が歳をとったことも関係しているだろうなー。明らかに無理がきかなくなった。休みたい。なにかあったらすぐ休みたい。そして気づくのです。休むことの難しさに。

■ICTを用いて個別に学習、それも出席扱いにしますというのは、要はつまらない授業は無視して内職しましょうみたいな話です。それはそれでかまわないし個人的には好きなんだけど、「多様な教育」ってそういう上辺の取り繕い方を指すものじゃなかったはずだよなという思いもあります。もっと教育制度の仕組み自体を問うものじゃなかったっけ。学校のシステムはそのままに中身をハックしてしまえという「しのぎ方」はありといえばありだけど、「出席≒教育」のような状況は逆を向いていると感じます。

■これにはきっとかかわった時間も関係してます。俺も最初のころは学習ハックみたいな話をたくさんしていた。だからね、なにも知らなかったころの自分に立ち戻ることは大事なんですよ。自分の変化を見つけるためにも。