漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

自分のなかの「子供」

■来る者あれば去る者あり。伯母が亡くなり昨日が葬儀だった。コロナ下で参列者は少なかったが、かえって落ち着いていてよかったかもしれない。

■親戚があつまると昔ばなしが始まる。俺と従兄が子供のころ、いかに悪ガキだったか。近所の家の梅の実を全部叩き落したりとか、捨ててあったテレビから真空管を取り出し、道路に叩きつけて割ったりとか(ちょっともったいないことをしたといまは思う)、空き家に土足で上がり込んだりとか、空き家かと思ったら人が住んでたりとか、まあまあ、とにかくいろいろやった。らしい。

■赤平の親戚の家に遊びに行き、あまりの楽しさに帰りたくなくて一計を案じた。服を汚せば車に乗せられないからもう一泊できる。頭からつま先まで泥だらけになって、まわりを驚かせた。なんて話は自分でする分には楽しいのだが、まわりから言われるのは面はゆいというか決まりが悪いというか、親戚のあつまりってそういうものだけど、ちょっと面倒ではある。

■でも、とも思う。子供のころの話をするのは、当たり前だけど俺の子供時代を知っている人に限られる。これまた当たり前だが、そういう人は俺より年上なので、先に亡くなる。だんだん子供のころの自分を知る人が少なくなって、思い出話も出なくなり、そうやって自分のなかの「子供」は消えていくんだろう。そんなことを考える。ひっくり返せば、平均寿命が延びた分、個人の子供時代はなかなか終わらないということだったりもするのかな。


水谷豊「やさしさ紙芝居」

■特に関係はないんだけど、日誌を書いていて急に頭に浮かんだので。「子供時代」→「熱中時代」かなあ。それとも子供のころに楽しみで観てたドラマだからかな。