漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

あおい目のこねこ

■『あおい目のこねこ』。福音館書店刊。エゴン・マチーセン作、せたていじ訳。小さいころに大好きだった本で、1968年刊の第6刷をいまでも持っている。このあいだ、ふと読み返してみた。

■青い目をした子猫が「ねずみの国」を探しに旅に出る。ねずみの国を見つけたら食べものの心配はいらない。つまり子猫は飢えている。少なくとも飢えるおそれのある生活をしている。まわりは子猫に冷たい。魚に道を尋ねたが、魚は笑って答えず、かわりに水をひっかける。だが子猫は言う。

「なーに、こんなこと、なんでもないや」
「さかなには、わからないんだ」

ほかの猫たちに青い目をバカにされ、池の水に顔を映してみる。青い目はきれいだし顔も変ではない。嬉しくなって、ほかの猫に伝えに走る。あれ? セルフ・エスティームの話ですか?

■読み返して、自分の考え方に、この猫がずいぶん深く根をはっていると気づいたわけです。俺もよく言ってるもんな。「こんなことなんでもない」「そのうちどうにかなるさ」って。

■特に好きなのがアブラムシをつかまえる場面。エサはなかなか手に入らない。ハエだのカだのを食べ、おいしくはないけど「なんにもたべないよりは、まし」と我慢する。しかし、アブラムシだけはベタベタしてくさくて、「なんにもたべないほうがましでした」。どれだけお腹がすいても「なんにもたべないほうがまし」ってことがある。子供心に、それはずいぶんかっこいい態度に思えたのでした

■ということで、『やっぱりおおかみ』とともに、人格形成に多大な影響を受けた本でした。ただねー。最後がちょっと気に食わないんだよねー。子供のころもそう思い、いまだにそうだと確認しました。自分の心の狭さがわかる。

■あ、でも、あれか。子供はこの本を読んで、自分が「あおい目のこねこ」だと思うんだよね。どの子供も。『スイミー』を読めば自分はスイミーだと思うんだよね、きっと。そう考えるとなんか不思議(『スイミー』は子供のころに出会わなかったので、自分ではわからないんだけど)。

■ということは、どの子も「自分はまわりの人と違う」って思っているってことでしょう。「固有性を持つ自己」。それをまわりが受け入れる(受け入れさせる)のが『あおい目のこねこ』や『スイミー』で、受け入れられなくてもその自分を肯定するのが『やっぱりおおかみ』になる、のかな。