漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

正義感なんてドブに捨てちまえ

■ヤフーをふらふらと見ていたらこんなものが出てきた。(リンク先はスポーツ報知)女性からCD購入し踏み潰した男性「僕の中での正義感」…「ビビット」に出演
■ざっくり中身を説明すれば、路上ライブをしていた女性のCDを男が買ってそれを目の前で割るという事をしたらしい。この男がテレビに出てなにやら詭弁を垂れていたらしい。何故割ったかについては、「無許可で路上ライブをしている人を撲滅したかった。」らしい。んなことしたいんだったら警察にでも通報すれば一発でどうにかできるのに、わざわざ割る意味ないだろうよ。ライブしてた人が無許可かどうかも、見た目だけじゃわからんだろうよ。その後の言葉での味付けもなんとも香ばしい。

ただ、そこまでしないと分かっていただけない現状があるので、僕の中での正義感で動いている感じ。結局、必要悪。(上記リンク引用)

■自分のやっている行動を「正義感」だとか「必要悪」なんて言葉で味付けするのはよそうぜ。目的が無許可路上ライブの撲滅と言い切ってしまっているのだから、言葉はもはや必要ない。目的が定まっている以上あとは行動するだけである。必要悪だと言うのならば、目的が達成されるまで己が「悪である。」という認識に耐えられる覚悟があるか。そして自分の正義感を他人に押し付けるのは、他人に対する「侵略」だという事に気づけ。本当に正義という言葉に支配されている輩ほど信用におけない。日和見主義者のほうがよっぽど良き理解者になることの方が多い。
■正義なんてものはいわば思考の半永久停止に近い。自分の中でその思考以外認めないと宣言しているようなもの。そんな輩同士が戦争の火種になる。
■そんなことを思っていたら、無性にブルーハーツの「少年の詩」を聴きたくなってきた。「言葉はいつでもくそったれだけど、僕だってちゃんと考えているんだ」。この男もひょっとしたらこんな感じだったんだろうか。