漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

ことばとごかい

■こんにちは。帯広の寺沢です。朝方に日誌を書いて漂流教室に送ったら、書き直ししてほしいと言われて書き直しています。ちゃんと相馬さんの方から「恨みを感じる」とか「読んでいる人が不安になる」と理由も添えて頂きました。因みに、恨み等は一切ございません。でも、そういう風に感じた事もまた事実なのです。ということを踏まえて、少し「ことばの危うさ」について書きたいと思います。

■例えば、AくんとBさんがこんな約束をしたとします。A「じゃあ、駅前のコンビニに10時ね」B「おっけー。あそこなら間違えようがないよね」。で、当日の10時に待ち合わせ失敗。Aくんは駅前のLAWSONに、Bさんは駅裏のセコマに行っちゃったというオチですね。あるあるじゃないですか?

■「LINE使ってたらええやんけ。すぐ間違いに気付くんじゃね?」と思いますよね。それも合ってます。一応10時に待ち合わせしているわけですから、10時15分ぐらいには私もLINEすると思います。

■このやり取りが、ただの遊びの約束だったから良かったです。後は、ちゃんと時間指定をしていた。LINEなら、やり取りの記録があった。そして一番大切なのは、精神・心理的な内容ではなく、かたちのある物理的な約束だったことです。

■これが心理的な面を挟んだやり取りだったとします。時間指定もないとします。容易に想像できるのは、「誤解」です。そして概ね、誤解というのは解消されません。文字言語なら尚更です。ことばは、聴き手や読み手の受け取り方に依存しています。「1」と言ったって、「位置」とうけとることもあります。「1」と書けば文面から「ワン」と読まれる。そういうものです。

ガンダムに、ニュータイプという概念があります。ことばを使わず、誤解なくわかり合える人々ですね。そのニュータイプですら、わかりあうことが難しいのです。或いは、わかりあえたとしても敵同士であったり。わかるのが遅すぎたとか。

■さて、書くのにお借りしていた場所が蛍の光を流して、もうその音楽も消してしまったのでこの辺にします。ではまたー。