漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

合同教研2015

■毎年恒例合同教研。ずっと出ていた「子ども・青年の発達と教育」分科会をやめ、「地域における子育て・学習運動」に出席することにした。どうしても個人の話しを中心に考えることになり、貧困問題や地域との連携のように外部との繋がりについて語る言葉をもう少し聞きたいと思ったからだ。

■分科会はそれぞれに歴史を持ち、それによって話しの方向性が制約されている。今回参加した分科会は「子育て」ということで、幼稚園と保育園の待機児童問題や利用料、労働問題の話しが伝統的なテーマのようだ。しかし、今年は「さっぽろ子ども・若者白書」や恵庭市のコミュニティスクールの報告があり、連携がテーマになっていた。

■土曜日の報告では、福島からの原発被災者への支援をしているグループの発表がよかった。当初求められていた学習支援から居場所としての性格を持つにつれ外部との繋がりを作っていく様は、居場所を成り立たせるものが繋がりであることを示していると思った。

■日曜日は、恵庭のコミュニティスクールの報告がよかった。文科省もコミュニティ「・」スクール設置を全国的に進めているが、これは「学校運営協議会」の別名で、狙いは「世界に打って出るタフな人材育成」を目指し「地域住民が当事者意識を持って」「学校と地域が同じベクトルで」「責任をもって」学校に関わるというもの。学校にとっては、外部の監視機構が増えたと感じられてもおかしくない。恵庭のコミュニティスクール(点無し)は、学校施設を地域の生涯学習施設として活用するという目的ではじまったものだ。どちらも学校と地域の連携を深めることを指向しているが、前者はそれによる学校と教育のコントロールが意図されているだろう。これは巧妙な教育への権力介入である。

■恵庭のコミュニティスクールでは地域住民が学校施設を使ううちに、「これは先生達に負担になってないか」という考えがでてきたという。この気づきが教師との連携を上手く進めることになっていたのが興味深い。連携は相互理解が前提条件であり、そこに至るまでの時間と場所が必要なのだ。

■ということで、今年は分科会を変えてみたのだが、どうもしっくりこない部分があったのも事実。子どもの貧困についてたくさん語れる分科会を来年は探そうかな。あるいは連続させるか。(月曜日)