■今月末〆切の原稿が残り2000字のところで急停止。気分転換に日誌を書こう。
■杉本賢治さんとの対談から一週間。ちょっとずつ言葉にしていこうかと思います。
ひきこもる心のケア―ひきこもり経験者が聞く10のインタビュー (世界思想社)
- 作者: 村澤和多里,杉本賢治
- 出版社/メーカー: 世界思想社
- 発売日: 2015/08/27
- メディア: 単行本
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■それであらためて考えてみると、「友達」という言葉こそ使いませんがたとえば「飲み仲間」「仕事仲間」といった呼び方はします。「三年に一度くらい会って自分の立ち位置を確認したくなる人」とか、「迷ったときはこいつだったらどうするだろうと念頭に置く人」なんて、そんなネイティウブ・アメリカンの名前のような分類をしなくても、「親友」で差し支えないのかもしれません。一般的なカテゴリーより自分の感覚を優先してしまう、ある種の独りよがりが俺の面倒くささなんでしょう。それでいちいち引っかかって先に進まない。
■一方で、楽な部分もあります。たとえば、クラスに友達がいないという悩み。普通なら「友達がほしい」となるところを、この方式だと「休み時間にちょっと話のできる人がほしい」というもっと具体的な希望になります。じゃあ、どうするか。クラスにそれを望めないならば違う場所を見つけよう。悩みにすでに解決への方向が示されている。杉本さんと話すまで気づきませんでしたが、このおかげできっとずいぶん楽にやってこれたはずです。
■「普通」の悩みというものがあります。自分は「普通」じゃない。「普通」の人と違ってしまった。そうして、どうやったら「普通」になれるか悩む。これも「友達がいない」と同じで、漠然としたカテゴリーを物差しに考えるから、自分の位置も進む方向も見えないのでしょう。俺は30歳の記念に、自分は平均的な成人の日本人男性である、と勝手に普通宣言をしてしまったのでもうどうでもいいですが、それもきっとオリジナル分類の産物なんだろうなあ。
■あ、そうだ。杉本さんとの対談、さっそく第二弾が決まりました。来月に石狩だ!