漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

友の名

■今月末〆切の原稿が残り2000字のところで急停止。気分転換に日誌を書こう。

■杉本賢治さんとの対談から一週間。ちょっとずつ言葉にしていこうかと思います。

■対談で一番驚いたのは、杉本さんが「友達」もしくは「親友」という言葉をごく普通に使っていたことでした。「友達」という言葉は俺はほとんど使わない。facebookの用語として使うのもためらうくらいで、「親友」に至っては、そんなもの本当にいるのだろうかと、都市伝説のようにすら思っています。なんの根拠もないのですが、杉本さんも同じようなためらいを持っているのではと勝手に想像していたので、予想外の展開に一瞬思考が飛びました。

■それであらためて考えてみると、「友達」という言葉こそ使いませんがたとえば「飲み仲間」「仕事仲間」といった呼び方はします。「三年に一度くらい会って自分の立ち位置を確認したくなる人」とか、「迷ったときはこいつだったらどうするだろうと念頭に置く人」なんて、そんなネイティウブ・アメリカンの名前のような分類をしなくても、「親友」で差し支えないのかもしれません。一般的なカテゴリーより自分の感覚を優先してしまう、ある種の独りよがりが俺の面倒くささなんでしょう。それでいちいち引っかかって先に進まない。

■一方で、楽な部分もあります。たとえば、クラスに友達がいないという悩み。普通なら「友達がほしい」となるところを、この方式だと「休み時間にちょっと話のできる人がほしい」というもっと具体的な希望になります。じゃあ、どうするか。クラスにそれを望めないならば違う場所を見つけよう。悩みにすでに解決への方向が示されている。杉本さんと話すまで気づきませんでしたが、このおかげできっとずいぶん楽にやってこれたはずです。

■「普通」の悩みというものがあります。自分は「普通」じゃない。「普通」の人と違ってしまった。そうして、どうやったら「普通」になれるか悩む。これも「友達がいない」と同じで、漠然としたカテゴリーを物差しに考えるから、自分の位置も進む方向も見えないのでしょう。俺は30歳の記念に、自分は平均的な成人の日本人男性である、と勝手に普通宣言をしてしまったのでもうどうでもいいですが、それもきっとオリジナル分類の産物なんだろうなあ。

■あ、そうだ。杉本さんとの対談、さっそく第二弾が決まりました。来月に石狩だ!