漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

ニコ生のコメントを見て

■こんにちは。スタッフの小松です。

■もう結構前になってしまいましたが、先月23日に札幌学生ユニオンが塾講師バイトをテーマにニコ生を放送していました。ユニオンのメンバーに友人が多いのと、漂流の山田さん・相馬さんが出ていたので、私は最初から最後までほぼパソコンに張り付いて見ていました。

■そこで「漂流の日誌見たけど主張と飯の話ばっかりで活動の話書いてない」「意味あるのか、その活動」というようなコメントか右から左に流れてゆくのを見ました。そのため、今回は私の漂流での活動のことでも書こうかと思いました。そして途中まで書いて、結局どう書いても私の主張になってしまうので止めました。

■そこで気づいたのですが、おそらく活動に明確な「意味」がないから日誌に書くような活動報告もできないんだと思います(もちろん利用している方のプライバシーのために書けないということもありますが)。

■例えば、支援を必要とする人たちに対して、「こういうことをしてあげよう・できるようになろう・一緒にやろう」→「その結果こういうことができたので、この活動にはこういう意味がありました、次はこうしよう!」というような目標を立てられる活動をするのなら、きっと毎週でも日誌を読む人にとって満足のいく活動報告ができると思います。

■でも漂流の訪問ってあんまり目標とか立てないし、むしろ目標を立てなくてもコンスタントにちょっと年上の人が家に来て、一時間くらい過ごしてすぐ帰っていく、というところが売り(?)だと思うのです。

■支援される側って、支援者側の「これをやろう、そうすればきっとよくなる!」という「意味」に押しつぶされて疲れちゃうようなこともあるんじゃないでしょうか。そういう「意味」を無くすということだけが目標だと少なくとも私は思っています。だから別に今日はこんなことをするぞ! できるかな? っていうようなことは想定していないし、訪問したときの利用者の気持ちに合わせてなんとなく居させてもらってるだけなんです。

■だから特に日誌で報告するようなことが毎回起こるわけじゃないんです。それでもなんだかんだ今の訪問先にはもう1年半くらい通っているんですよね。長くなってきたなあ。

■なので、もしニコ生と日誌を見て「飯と主張ばっかり」と思った方がこの記事をみて下さっていたら、スタッフ十数人がそんな感じで漂流しているんだなあということに思いを馳せて下さると、幸いです。なんて、生意気にも言ってみるのでした。小松でした。