漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

3/8ひきこもり名人×いっぱんじん連合「しゃかいさんか」を聞いて

■ボランティアスタッフの坂岡です。三月八日の「しゃかいさんか」を聞いて、感じたことを書こうと思います。内容に関わることはあんまり書けない気がするので、本当に主観的に触発されたことを書く感じになってしまいますが、お許しを。

■自分の脳裏にふと浮かんだ言葉は、「うらやましいな」でした。何にそう感じたのか? なんというか、勝山さんも宮原さんも「自由」なのです。自分の感性に自然体に生きている。自分もなるべくそういう風に生きたいけど、そうできにくい感じがあります。それはなぜなのか。

■僕が「ボランティアを始めよう」と、はじめて漂流教室に見学に行ったとき、本当に「ガチガチ」でした。ガチガチしていた僕の横で、相馬さんはギターをシャンシャンひいていました。山田さんは送迎の車中で、いつも飄々として洋楽をかけたり、自分の趣味の話を語っていました。やがて、僕の「ガチガチ」は「ごくふつう」になっていったのです。「自由」が感染したのでしょう。(人の脳には「ミラーニューロン」というのがあって、人のふるまいを見ているだけでその人の内側で起こっていることを再体験できるようになっているのです。)

■そもそもボランティアをしようと思った理由が「既存の社会常識への違和感」と「人は自由に生きることを尊重されていいはずだし、その手伝いをしたい」と考えていたからなのですが、「頭」でそれをわかっていても、「身体性」がついていってなかった。それが、その「ガチガチ」に表れている気がします。

■当時、エーリッヒ・フロムの「自由からの逃走」を読んで、「そうだ、人間は真の自由を生きなければ!」とか真面目に考えたのですが、その言い方からして、もうなんか「不自由」な感じがする……というちょっと残念な感じですね。(でも、今も根本的なところはあんま変わってません。)

■「自由に憧れる生真面目人間」(実際はいろいろサボってる)な僕は、さしずめ「ひきこもりブッダ」から「自由」を分けてもらおうとしている「雲水」とといったところなのでしょうか。