漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

「メンタルフレンド」の「メンタル」って何?(現象学的/臨床心理学的考察その3〜メンタライゼーション編〜)

■ボランティアスタッフの坂岡です。引きつづき、「メンタルフレンドにおけるメンタルの意味」について考えていきたいと思います。前回は臨床心理学、とくにアタッチメント理論の研究成果から、以下の内容について書きました。

  1. 子どもは「安心の基地」となる人物に接近することによって、不安定な情緒状態を調整し、「探索行動」を行うことができるようになる。(転んで泣いている小さい子どもが親にひっついてなぐさめられている場面を思い浮かべるとわかりやすい。)逆に、安心できる接近対象を持てないと、子どもは不安になって探索行動が抑制される。
  2. 「探索行動」とは、好奇心を発揮して未知の領域へでかけていこうとする活動であり、遊びや創造的な活動、友達をつくろうとすること、自分自身の気持ちや内面を探索しようとすること、などをふくむ。
  3. 「安心の基地」の条件とは、単なる物理的な近接性ではなく、「情緒的な応答性」である。すなわち、自分の気持ちを共感的に汲み取ってもらう体験であり、相手の言語的・身体的なリアクションを通して、自分の状態を映し返してもらえたと実感できることである。

■今回は、この「応答性」ということについて、さらに考えていきたいと思います。現代の発達研究では、この「応答性」の質や、それが子どもの発達に及ぼす影響についてさらに詳細な研究が行われており、フォナギーが提唱した「メンタライゼーション」も、その一つです。「メンタライゼーション」とは、厳密にいうと「自己や他者の明示的な言動を説明する背景として、なんらかの志向的精神状態(感情、信念、欲望など)を思い描く能力」のことです。平たく言えば、「相手の気持ちを考える」とか、「自分をふりかえってみる」とか言われている営みですね。そして、養育者の「メンタライゼーション」の高さは、子どものアタッチメント・スタイルの質を予測することがわかっています。自分と向き合ってしみじみと内省することができ、かつ、子どもの気持ちを想像して、自分に何を求めているのかを受け止めようとしている親は、その後の子どものアタッチメント行動を安定させるのです。さらに、安定したアタッチメント関係を経験した子どもは、メンタライゼーションを早く発達させることができます。*1
■では、「メンタライゼーション」が高いことは、どのような利点をもたらすのでしょうか。第一に、「不安定な情緒状態を調整することができる」ということです。誰かに自分の気持ちを映し返してもらうことを通して、人は自分の状態像(イメージ)を他者のふるまいに見いだします。そこに、「自分との距離」が生まれ、「自分自身の表象」をつくることができるようになるのです。だれかに自分の状態を表現してもらうことによって、「感情にまきこまれ、圧倒されている状態」から抜け出し、距離をとって自分を対象化できるようになるのです。これが、「象徴化」のはじまりです。 人間は、自分の気持ちを象徴的に外部に見いだしたり、象徴的に表現(express:外に出す)することで、情緒を調節するのです。このように、誰かから「想われて」育った人は、自分自身も、「もの想う力」をもてるようになります。

■第二に、情緒が調整された結果、探索行動が促進されるということです。これはさっきも説明しました。

■第三に、社会的関係性の発達(調整)ということがあげられます。フォナギーは進化心理学の観点から、「メンタライゼーションの力がヒトという種においてこれほど複雑に発達したのは、人類が自滅せずなんとか生き延びるために、社会集団を形成して協力するという戦略を採用したためではないか」と仮定しています。ヒトは他の種に見られないくらい互いに奪い合ったり、争ったりしてしまいますから、「おたがいの気持ちや欲望を認めあって」やっていくしかないところがあります。(ホッブズヘーゲルといった思想家も同じようなことを言っている。)社会の関係性のなかで自分を位置づけて生きていく(生き延びる、生き抜く)ためには、自分を知り、他者を知る生存戦略である「メンタライゼーション」の力がどうしても必要になってくるのです。

■「個人の自由」という価値が確立された近代社会以降、人間はだれでも、「自由への欲望」(生きたいように生きたいと願う欲望)をもたざるをえなくなりました。そして、市民社会という前提のなかで、自らの欲望を少しでも活かして生きるためには、自分の欲望の形を知ることと、他者の欲望を知った上でそれとどう折り合って生きていくかを考え合うことが必要になったのです。これが、メンタライゼーションという戦略が有効である理由です。*2

■さて、

  1. 情緒の調整
  2. 探索(新奇刺激に対する 好奇心の発揮)の促進
  3. 自己および社会的関係性の発達(調整)

が、メンタライゼーションと大いに関係しているということを説明しました。僕が提案したいことは、「メンタルフレンドという活動の本質は、メンタライゼーションを伴う安心感のあるアタッチメント関係の構築(探索行動の基地となる、安心できる関係性の構築)にある」のではないか、ということです。少なくとも、アタッチメント理論の観点からは、このように表現できるのではないかということです。*3

■メンタルフレンドの目的とは、「フレンドリーな関係の構築を通じて、メンタル面でのサポートを提供すること」である、と以前に仮定してみました。今なら、アタッチメント理論の観点から、これを次のように説明できます。すなわち、「 フレンドリーな関係」とは、「情緒的応答性を得て感情を調整することが可能な安心できる関係」のことであり、「メンタル面でのサポート」とは、「情緒の調整、探索の促進、自己および関係性の発達(自己の志向性・欲望の自覚や、他者の志向性・欲望との折り合い)のサポート」である、ということです。

■では、「メンタルフレンドにおけるメンタル」とはなんでしょうか。アタッチメント理論およびメンタライゼーションの観点からは、次のように言いうるでしょう。「メンタルとは、人の明示的言動を説明するための背景として想定される志向性のことであり、社会集団およびそこに属する個人が、自滅せず協力して生きていく(生き延びる、生き抜く)ために必要とされる戦略的想定である。」

■このように説明することにより、「メンタルフレンド」における「メンタル面でのサポート」という関心と相関的に「メンタル」を記述することができました。ただ、難点としては、「進化心理学的説明」は一種の「物語」を採用しているため、説明力としては弱いということがあります。また、「フレンドリーな関係」と「親による養育的な関係」の区別がついていないことは大きな問題です。第一の点については、ヘーゲル哲学の「自由の相互承認」の原理を援用すれば「そう考えるほかない」ことが解明可能と思われますが、言いたいことのエッセンスそのものは進化心理学的説明(自滅を避けるためには「自由の相互承認」の道しかない)とかぶるので、省略します。

■第二の点は、「フレンド」の本質論に関わって きます。しかし長くなったので、また次回にせざるを得ません。今回は漂流のもう少し具体的な活動とつなげて、「遊び論」とか「しゃかいさんか」とかまで考える予定だったのですが……。読んでくださっている方(いるのか?)、難しい文章にお付き合いいただきありがとうございます。もうちょっとだけ続きます。

*1:ここでいう「安定」とは、動揺しないということではなく、むしろ安心して動揺を感じることができ、かつそれを調整できるということ

*2:言い方は難しいかもしれませんが、実は何も大げさなことは言っていません。「この社会でなんとか幸せに(自由に)生きている人」なら、暗黙裡に誰でもやっている(原理的にやらざるを得ない)営みであることに気をつけてほしいと思います。

*3:「構築」とあえて言うのは、「いきなり安心できる」関係になるとは限らないし、「ずっと」安心できる関係が続くとも限らないからです。アタッチメントは、達成ではなく一種のプロセスです。