漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

万引きと入れ墨と

■大阪で万引きをして懲戒免職となった高校教員が、処分は重すぎるとして起こした裁判で府が処分の取り消しをして退職金相当のお金を支払うことで和解したというニュースに対してネットで批判の声が上がっているのを見た。皆さんはどう思うか。ぼくは処分取り消しで良かったねという感想で、批判する人を否定する。

■「万引きは犯罪です」というのは、全くその通り異議なしだ。で、それに対して罰があってもしかるべきだと思う。後は、その罰をどれほど与えるかだが、それは法律に拠って裁判で決まる。職場としても規則に基づいて判断するわけだが、法律にせよ規則にせよ、犯した罪の軽重をきちんと見てもらえるから安心して生きることができる。立小便で死刑になるような世の中は、無法な世の中と変わりない。漫画「北斗の拳」で悪者が「ヒャッハー 汚物は消毒だー」と叫びながら自分の邪魔になる村人を殺していたが、それをひどいと思うなら、万引きで懲戒免職を食らって路頭に迷う世の中はひどくないかどうか判断してみてほしい。ぼくは万引き(焼き豚だという)でそうなる世の中は嫌いだ。幸いなことに、無法であると感じたことに異議を唱えて判断してもらうことができる社会で本当に良かったと思う。

■同じ大阪で行われている市職員の入れ墨検査も、似た構造があって嫌だ。なるほど市役所に行って職員に入れ墨が見えたらびっくりする人はそこそこいるだろう。だから、服務規則には不快感を与えないような恰好をせよという規定があったっていいかもしれない。しかし、それを盾に職場転換などするのは、ぼくの感覚ではおかしい。不快に見える市民も人であるなら自分の好みで入れ墨をした職員も人である。その点における差はないですよ、というのが基本的人権というやつで、それに基づいて人は平等に扱われるというのがこの国の憲法だ。ゆえに、好悪の範囲で済んでいることならば、片方の生活に支障をきたす恐れのある配置転換を市が行うのはおかしい。

■しかも、入れ墨は法律的に処罰されるようなものでもない。社会的には、暴力団の構成員に多かったりするから、就職などで不利に扱う企業や放送では出さないなどの差別構造(これもおかしな話だ)があるが、それだって少なくなりつつある。入れ墨をしているということで生きづらい人生を歩んでいる人に、更に生きづらい世の中を作る側に立つか、それとも生きやすい世の中を作る側に立つか。ぼくは後者を選ぶ。

■万引きをする人も入れ墨をしている人もマイノリティだ。マイノリティが生きやすい世の中に向かっていきたいと願うのは、当然不登校やひきこもり、発達障害もマイノリティだからだ。似ている構造の問題が起こるんだよな。次回書くかな。