漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

昨日の報告いっぱい

■昨日の市教委とFSNの懇談会について。参加者は以下の通り。

  • 民間団体
    • 漂流教室
    • 札幌自由が丘学園
    • 北海道自由が丘学園月寒スクール
    • どろんこクラブ
    • こども共育サポートセンター
    • チャレンジポートあゆみ(オブザーバーとして)
  • 市教委側
  • スクールカウンセラー1名

自己紹介と今年一年の活動について軽く紹介した後、漂流教室から訪問先の子供についての事例報告と質疑応答。その後、札幌自由が丘学園より、学校との連携についての報告。最後は担当係長からの挨拶で締めて二時間。

■まず、市教委のスタンスについて改めて確認したことを書いておこう。市教委から各小中学校に「○○するように」という命令はできない、あくまで助言をする立場だと彼らは自らの役割を語る。学校方針の最終決定権は校長にあるからとのこと。これが何を生み出しているかというと、例えば市教委側では「市教委としては不登校の子供への対応について文科省から出ている方針は伝えているのですが、各学校でそれが徹底されないのです」と語り、学校側では「市教委の人から『○○せよ』とは言われていないし、最終的にはこちらで判断すること」と語るという現象だ。これでは子供や保護者がいくら対応の変化を訴えたところで、教師の個人的資質によってしか対応は決まらないし、その個人的資質の変化も教師本人まかせにしかならない。そうなれば、不登校という問題に対して教師集団が持つ問題解決へのベクトルは、何十年も昔の言説を保持したままになる。曰く「家庭の教育が…」「しつけが…」「甘やかしているのではないか」等々。未だに良く見聞きする、子供や保護者を傷つけ解決に至るのを難しくしている不登校への対応は、やることはやっているように見えるが自分たち自身の変化を巧妙に回避しようとする教育委員会と学校の態度から来る。

■さて、事例報告として事前に求められたのは、特別な支援を要する子供の事例だった。学校とのやりとりをしている事例、他機関と共に支援会議をしている事例、以前報告した事例の後日談となる事例を発表した。質疑応答では最初の事例についての質問が続いた。その中で印象的だったのは、市教委の方から出された「スクールカウンセラーと話すように子供に言うことはしていないのか」という質問だ。

スクールカウンセラーは週に一回程度しか学校にはいない。しかも、そもそも不登校の子供が学校に行くこと自体、ハードルが極端に高いことだ。そして、スクールカウンセラーと誰の何のために話すのかよくわからないまま子供に「会いに行け」などとは、とても言えることではない。来ていたスクールカウンセラーにもこの問いかけについて聞いてみたが、「スクールカウンセラーが各学校でどういう役割をしているかは、それぞれ違っている。先生の話を聞いたり、対応について協議する中心となるのが一般的だ。親の話を聞いたりすることもあるし子供の話を聞くこともあるが、何ができるかはケースバイケース」という話しだった。何とも歯切れ悪い返答だが、仕方あるまい。実際、先生の悩み相談を受けることは多いと聞く。市教委側が、スクールカウンセラーのやっていることや実際の活用法について、把握していないことがほの見える質問だった。

■帰り際に市教委の方と交わした挨拶でも結局のところ、上述したような姿勢がほの見えた。曰く「漂流教室で支援会議をどんどんやっていってください」とのこと。校内に不登校対策チームを作り、外部とつながることも文部科学省では求めているが、現状できている例は数少ないとぼくは見ている。支援で前提になるのは、まず関わろうとしている当事者に対する、支援者の思いだ。職業的使命感だけでなく、当事者のことを考えたときに動きたいと思うかどうか。形として支援会議というような場を作るよりも、まず動きたいと思う人が動ける環境を作ることが市教委のやるべきことだろう。

■訪問は一件。ちょいとヘヴィー。でも、解決。漂着教室にはモノポリーが来た。夜、今年初めてのキムチを開ける。むぅ…。