■遅ればせながら、11日分の報告です。漂流通信の掲載したものをリライトして載せます。10日は相馬氏、頼む。
■午前中は札幌市の不登校対策についての取組を聞いた。特別支援教育の取組概要と市教委のセラピストが関わった事例報告、中学校での取組について報告、と盛りだくさんの内容だった。
■市教委はスクールカウンセラー(SC)、スクールソーシャルワーカー(SSW)、巡回相談員、学びのサポーターを配置して、対応を連携の必要性に応じて三段階で行うという話をしていた。SCは子供へのカウンセリング、SSWが関係機関との調整、特別支援教育巡回相談員が担任への相談支援、学びのサポーターは子供の学習・生活への支援を行うということにしている。支援の対象として、子供・保護者だけでなく教員も入れているのは評価できるが、いかんせん「支援される側からの要請」でこの四者を決めたのではないから、「これまで導入してきた各種対応策」に役割を割り振った感が否めない。役割はもっとスリムにして、人員を増やすことが必要だと思う。例えばSCが教師や親の相談役になることは多いわけであり、その仕事は巡回相談員やSSWとかぶる。人数が全市で三人というSSWを増員して、巡回相談員のやっている仕事をSC・SSWで分担できる方がやり取りもしやすく、相談への対応も多くできるのではないだろうか。
■「三段階の対応」を説明したスライドの中では、まず子供自身への支援、ついで保護者対応、最後に医学的対応ということになっている。これは問題の困難さによって対応を変えるのだと説明されているが、医学的対応が一番難しく子供への支援が簡単な方に挙げられていることに違和感を覚える。しかも、支援の広がりとしては、子供自身への支援にSCと共に巡回相談員が入っているのだ。一区に一人の巡回相談員が来るのを待ってる余裕が無い時だってあるだろうに。
■この発表で市教委の担当者は、特別な教育的支援の目的は発達障害から来る二次障害を如何に防ぐかである、と語っていた。しかし、二次障害を防ぐことと教育をすることは別問題であって、特別支援教育自体はその先だ。防いで何をするのか。そこをベースにしない支援は形だけのものになりやすい。
■次いで行われたセラピストの発表では、多くの問題を子供も親も抱えているケースが取りあげられていた。漂流教室でも近い事例があるので興味深かったが、10人以上の関係者が集まるケース会議を開いても、親子と深く関わりを持つことになるのはSSWだけであった。上でも述べたように、札幌では全市に三人しかSSWはいない。余力がないとわかっているところには、学校だってものを頼みづらいだろう。SSWを「最後の武器」にするような施策は間違っている。相談とその解決は、もっとお気楽に始めることができないと。
■中学校の取組は、養護教諭が特別支援教育コーディネーターを目指し、市教委主催の講習全てに出るくらいのやる気で取り組んだ話しから始まった。しかし、学んだことを学校に持って行ったが、実現できたのは今のところ状況記入シートを作ることのみだという。漂流教室が関わっていた生徒もいたから、これが学校の平均的姿とは思いたくない発表だった。
■その次に出たのは、教師たちの自主シンポジウム。何人かが発表したがお目当ては「特別支援教育における非行等への支援の課題」という発表。新篠津高等養護学校の先生、児童自立支援施設の所長、北海道医療大の先生、相談支援事業所の人が事例を発表していた。
■ここでも子供だけではなく親も含んだ「大変な家庭」が支援の現場では見えてきていた。「教育」という側面から考えると子供に焦点を合わせてしまうけれど、「福祉」という側面から考えれば大変さを持っているという点で誰しも平等になる。そうなると大変さを「問題行動」という言葉で語るのはおかしくなる。相談支援事業所の人は、「問題」というのではなく「わかってない」行動「うっかり」行動「わかっててもできない」行動「わざとの」行動、と説明してはどうかと提案していた。これはナイスだと思う。
■また、親御さんから聞くことのある、理解のない学校の言葉は、「教育」の側面のみから語られる言葉なのかもしれない。最初の市教委の話でも「親への支援」という言葉が出ていたが、彼らが意図する「支援」をよく見ると「子供の状況改善のために親を変える」ということだったりする。大変さを持ちながら生きる人がその状況を変えていくにはその人なりのペースが必要なのに、その辺りを考慮しない言葉を親御さんに投げかける時がある。連携を語る前に、見方を相互理解することが必要だ。
■午後はまたもやLD・ADHDの心理的疑似体験プログラムを受けた。そして、特別支援教育士の資格をとってやろうと決めたのでした。