漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

子どもの権利シンポ

■12/9の日誌の続き。6人の中高生をパネリストに迎え、「札幌市子どもの権利条例」について語ってもらうという体裁。先ず「学校給食」というテーマで議論がスタートした。「給食を残すのはワガママか否か」。聞いてて唖然とした。そのテーマからどういう話を導きたいのだ。給食を残ことが「子どもの権利」です、という話でもする気なのか。

■実はこのテの理屈は、「子どもの権利」を快く思わない人がよく使う。そうやって矮小化して、権利そのものを貶めるという手だ。給食を残すの残さないのは好き嫌いの話で、「権利」なんてものを持ち出すことじゃない。「子どもの権利」とはそういう小さいことをアレコレするものなのか、という印象を与える。テーマの選択が先ずおかしい。

■さらにまずいのは、このテーマで話を続けるうち、「権利だけでなく義務も与えよ」と子供の口から言わせてしまったことだ。俺が反対派の議員だったなら、この一言は絶対に聞き逃さない。当の子供が「権利には義務が伴う」と発言したとして、義務規定を盛り込むよう議会で強く主張しただろう。条例制定に反対している自民、公明両党の議員が来てなかったのは幸いと言わねばならないだろう。

■さすがに見かねて、会の目的について、または己の役割についてコーディネーターの意識が足りない、と強く批判した。少々冷静さを欠いていたので、上に述べたような意図は伝わらなかったと思う。それは失敗。会場からは、一生懸命頑張っていたと擁護の声が出たが、そういうことではない。自らの手で「子どもの権利」に蓋をするところだったと気づけ。

■権利と義務という話なら、「子どもの権利」では、「子どもの権利」を支える義務が大人にある。パネリストに「大人になったら『子どもの権利』とどう関わるか」と質問してみた。しっかり守っていきたい、という答。そういう大人が増えることは歓迎する。

(12/12追記)
■権利と義務について正面から議論した結果、「権利だけでなく義務も与えよ」という発言が出たのなら構わない。そうではなく、権利を矮小化して語る中で出てきたのがよくない。彼らは権利そのものについて語らせてもらっていない。なのに、権利には義務が伴うと発言してしまった。これはやはり進行役のミスだ。