■はじめはマスク装着に感じていた違和が、いつのまにかしないことで感じるようになっている。シートベルトに似ている。
■高速道路での運転席、助手席でのシートベルト着用が義務化されたのが1985年。一般道での義務化は1992年。だが、それ以降もシートベルトをせずに運転していた人は多かった。俺も助手席ではしなかった。2003年の漂流日誌に、なんだか気分がいいと思ったらシートベルトをし忘れていたというエピソードがある。それくらい軽いものだった。
■2005年、非着用で走行すると警報が鳴るようになったあたりから規制が内面化される。いまや、シートに座ったらまずシートベルトをしないと落ち着かないくらいだ。同乗者にも着用を促してしまう。
■安全や安心という点ではいいことなのかもしれない。でも、これで損なわれたなにかがある。たまにはマスクをせず外出し、シートベルトをせず運転してもいいんじゃないか…と乱暴に言い切れなくなったあたりに年齢を感じるな。
■3月28日の日誌で『さっぽろ子ども・若者白書2020』の原稿が進まなかったわけを書くと言いつつ放置していた。ここでフォロー。
■とにかく、書こうと思っても言葉が出てこなかった。言いたいことはあるけど、言葉にするとどれもひどく的外れに思える。状況に手持ちの言葉が追いついていない。そんな感じ。
■そんな感覚はここ数年続いていて、「子どもの権利」にからんだ活動を始めたのも、無意識にそういう状態に対応しようとしていたのかもしれない。語る言葉がないのなら、ゆるがないところまで戻って考え直す。それが今回は「子どもの権利」だった、のかな。ということで、不登校についての原稿を書くはずが、やっぱり「子どもの権利」の話になってます。ざっくりいうと教育機会の提供は勝手に進んでいくだろうから、その手前、生活を支える方向に対応をシフトしてはどうですかという内容。
■状況に言葉が追いついていない感覚はコロナ禍でさらに進行。あんまり言葉が出なくて、ふと新型コロナはバベルの塔なんじゃないかなんて考えたりした。厄災により共通の言葉は失われ、人々は散り散りになった。俺のように「子どもの権利」に戻るものもいれば、地域コミュニティに希望を見出す人もいる。そうやってそれぞれの場所で言葉をためて、もう一度出会ったときになにか新しいものが生まれるかもしれないとか、いまはそんなことを夢想しています。