漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

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■「社会経験」という言葉には、どこか「必要なもの」「意味のあるもの」という雰囲気が漂う。または、「社会経験を積むことで××になる」といった因果関係や。でも、それって胡散くさいな、本当かな。そう疑ってるから、「社会経験」という言葉が俺はあまり好きじゃない。そもそも、無駄ろうが無意味だろうが、または何も生まなかろうが、それはそれでかまわないと思っている。というか、順序が逆だ。後から無駄にしないよう何とかするもので、意味があるかどうか先にわかるもんじゃない。

■子供に必要なのは、世の中をただただ見ることだと俺は思っている。有益無益、意味のあるなしに関係なく、ただ見る。いろんなものを見る。見て、自分の中に溜めておいてもいいし、そのまま忘れたっていい。とにかく見る。見て、やってみたかったら手を出してもかまわないが、それも「ただやってみた」以上の意味はいらない。見た後、やった後のことは子供本人の領分。経験は個人のものだ。手出しするなんて失礼だ。

■世の中は大人の都合で出来てるものだから、大人を見ることは世の中を見ることにもなる。今の大人は、朝になると会社に行って大人だけで集まってしまうから、"大人を見る"は案外難しい。子供は子供で、子供だけの場所に集まってしまうから、ますます難しい。いろんなNPOの寄り合いの「アウ・クル」は、その点なかなかいい観察ポイントだと思う。「漂着教室」をここに構えられるのは幸いだ。3/26の日誌で言いたかったのは、こういうこと。

■蛇足ながらつけ加えれば、「子供の視点は鋭い」「子供は真実を見抜く」といったことを俺は信じていない。逆だ。「大人の目は鋭い」のだ。いろいろなものを見ることで子供は少しづつ大人になり、大人になった分だけ鋭い視点を持つ。"子供の視点"が鋭いなら、何も知らない状態が一番ということになってしまう。じゃあ成長しなくていいじゃん。そんなのおかしいでしょう。こいつ鋭いことを言う、と思ったことがないわけじゃない。でも、そう思ったなら、それはきっと、こっちがその子の成長を見誤ったか侮ったか、または考えることをサボってるかしてるからだ。きっとね。

■次いで3/28の日誌について。日誌中で述べたようなやり方が上手くいく場合もあれば、上手くいかない場合もある。変化が起こるまでの年数も違う。ひとつ上手くいくと、いつも、そうじゃない場合を考える。上手くいったときは子供の力、そうじゃないときはこっちに原因がある。そう思っていれば間違いない。多分。以上、書き足りなかった分のフォロー(蛇足含む)でした。


■1件が休みになって、訪問は1件。ほか、昨日のフリースクールネット総会の事後処理などをする。なんせ事務局長ですから。来年度はもっとしっかりやるって大見得切っちゃったし。がんばろっと。

■上の文章は夕方に書いたんだけど、いやいや、夜になったら本格的に雪ですよ。道路真っ白。そう簡単に春は来させないぞ、ってことか。