漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

もう長いのはイヤなんだ!

はてなにしてからの俺の日誌は長い。短くしたい。しかし今日も長いぜ。コメント欄への返信を書いたんでな。いや、俺の要領が悪いだけなんだが。

■具合が良くないとかで訪問が1件キャンセル。空いた時間でドラクエ8でもやろうかと思ったが、例の文科省の研究事業応募書類を作らねばならない。もう刻限ぎりぎりだ。いま、山田が隣で必死になってタイプしている。俺は寝転んで日誌を書いてるよ。ふ〜ふん〜カレーライス〜。

ボラナビで「リサーチボランティア」なる企画を行っているらしい。そこで今度不登校を扱うというので、頼まれもしないのに参加させろと出かけていった。不登校というよりは学校についてのリサーチといった印象だったが、不登校を扱うのに、学校に行っている子供にも話を聞こうというのは面白いと思った。ところが、山田代表の様子がおかしい。重苦しい表情に重苦しい声で「何を目的としてるのか」などと重苦しいことを言う。別に珍しいことではない。真面目に考えれば考えるほど怖くなっていくのが山田の特徴なのだが、見慣れた俺には普通でも、初めて見るボラナビスタッフにはどう映ったか。はらはらしてフォローにまわる俺。まあいいや、これで貸しひとつだ。今度俺が怖くなったときには山田くんフォロー頼むよ。持ちつ持たれつ「漂流教室」。

■結局、怖い顔にも関わらず協力できることになった。そのうちアンケートのお願いにあがるかもしれません。そのときはよろしく。

■ところで、リサーチボランティア担当の堀さんという方は、自宅で障害を持った子供のサポート施設を開いている。名前が「パーソナルアシスタントサポートgoodness」。活動内容、連絡先などはボラナビ3月号にボランティア募集の記事が出ているので、それを転載する。

障がいを持つ子ども達をサポートをするために昨年10月に立ち上げた民間福祉事業所です。新年度には、不登校の子どもをサポートすることも考え準備しています。子ども達とたくさん遊び、時には学び、また講演会やイベント等の企画といった活動を一緒に行いませんか。興味のある方、お気軽にご連絡ください。
●日時/希望者の都合にあわせます
●場所/中央区
●お問合せ/パーソナルアシスタントサポートgoodness<担当:堀>
 TEL・FAX:011-616-9062 Eメール taka3h-c@ezweb.ne.jp

今後、つながっていくことになるかな。

コメント欄への返信

■3月5日のあんみつさんのコメントより。

基調報告の報告を、もう一度今度は親の立場で拝見してみました。そうしたら■の七つ目で、「実際は当事者の関わる問題に深く関わるほど、『不登校』という問題はどうでもよくなってくるという」とありますが、これはどういう意味かしら、と思いました。

■ええと、引用部分に元テキストと若干の違いがあります。山田が書いたのは「実際は当事者の抱える問題に関わるほど、『不登校』という問題はどうでもよくなっていくものであるという」です。「深く」が追加されているのが興味深い。

斉藤環氏のこの発言については、残念なことに憶えていません。ただ、「不登校かどうかは問題ではない」という言葉は、例えば他のフリースクールスタッフと話しているときなどによく出てきます。俺もそう感じています。なので、斉藤環氏の発言を離れ、以下に自分の考えを書きます。

■まず、「不登校」は現象でしかない、という理由があります。学校に行っているいないだけに注目していては、その子のことは何もわかりませんから。それからもうひとつ。同じ文中で既にあんみつさん自身が書いています。

現に学校に行けないことを苦にしている親や子どもは、ここは大いに関心を抱く点だと思います。

■そう、「不登校」が「問題」となり得るのは、子供、またはその親(実際は両者が問題としていることは違うのですが)*1にとってです。学校に行ってない子供やその親と関わっている第三者にとって「問題」なのは、その子(または親)とどう関わるかということ、もしくはリクエストにどう応えるか、ということでしかありません。その子が「学校に行けないことを苦にしている」ならば、第三者にとっては「学校に行けないことを苦にしている」子供への対応が関心事となります。重要なのはあくまでも「相手」もしくは相手との「関係」なのです。

■子供が抱える「問題」は、どこまでもその子の「問題」です。それは他人の、例えば俺の「問題」にはなり得ません。子供と同じ視点で「不登校」を「問題」とする第三者を俺は信用しません。それは、子供の気持ちを理解する、ということではありません。子供をだしに自分の教育理念を語っているだけだと思います。第三者には第三者の見るべき「問題」があるはずです。

■もちろん、一般論として「問題」を語ることはできます。それは「相手」のいない、「関係」を切り離して語られるものですから。それでも自分の関わっている範囲以上のことは語り得ないのですが。

*1:あんみつさんの元々のコメントが「学校に行けないことを苦にしている親や子ども」となっていたので、あえて無視しましたが、「不登校」を自身の「問題」と捉える中には教師や文部科学省関係者も含まれます。そう言うと「親子と教師では問題の“質”が違う」という声が出そうですが、同じことが親子の間でも言えるでしょう