漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

寄稿と虚構

■気持ちの良い晴天。日向に車を止めておくと、上着が要らないくらい車内が暖かくなる。実際は真冬日だったらしいが、気づかないうちに陽射しは春のものになってきているのかもしれない。

■午前中はひと月ぶりに石狩のりんくるで運動。ここのところ卓球ばかりやっていたので、久しぶりにバドミントンに挑戦するも、全く足がついていかない。追いつかない分、腕を目一杯伸ばして打つので、どうしても狙いが不正確になる。息は上がるし、いや、このままではイカン。フットワークを鍛えねば。

■週一発行の通信で、ある子が不定期に三国志の連載をしている。その影響か、「俺も何か書くから載せてくれ」という子供が出てきて、今日の訪問先2件でもその話が出た。「原稿寄越せば載せる」と答えたら、うち1人は早速メールで原稿を送ってきた。こうやって寄稿が増えていくと、ページ増を考えなくちゃならないかもしれない。そうなったら、訪問先の子に手伝わそう。下請けに出そう。

■ラジオで、まるでマンガの主人公のような経験をした、ついマンガの主人公のような行動をしてしまう、そういう話を募集して、「マンガのような人生」というテーマで放送していた。俺も、小学4年で『あしたのジョー』にはまり、あたかもマンモス西に対する矢吹丈のごとく級友をボコボコ殴って叱られた過去を持つ。今なら「虚構と現実の区別がつかない問題児」とされてしまうかもしれない。

■しかし、「虚構と現実の区別がつかない」というのも妙な言葉で、例えばワシントンの自伝を読んで(喩が古いな俺も)正直に生きようと決意しても、「虚構と現実の区別がつかない」とは言われない。そもそも、道徳教材や文科省推薦図書なんてものがあること自体、「虚構と現実の区別がつかない」ことが前提なように思われるが、問題にされたことはない(別の方面で問題になることはあるが)。結局、自分の気に入らないものをくさすための言葉なんだろうと俺は思っている。

■てなことを書きながら、訪問先から借りた『よつばと!』を読んで、目頭をじんわり熱くさせている俺。いやー、子供と大人の関係はこうじゃなきゃいけないよ。虚構と現実の区別がつかないから、すぐ影響受けます。

■同じくラジオで、札幌市教委が高校生を対象に性に関する調査を実施した、というニュースを聴いた。教育の名の下だとこういう出歯亀的な調査も可能なのかというのが第一印象。これについてはいろいろ言いたいことがあるので、後日詳しく(と宿題を増やす俺。そのうち潰れちゃうぞ)。


本日の脳内BGM:さよならベイビー(サザンオールスターズ