漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

すごい量だ

■日曜日は段ボール20箱ほどの昔の荷物整理、月曜日は訪問4件とさっぱり時間がとれない。レジュメは一月中に仕上げるはずだったのだが、水曜印刷になってしまいそうだ。

■荷物の殆どは本であり、ただいま部屋の中は本だらけ。「あれ、こんなに読んでいたんだ」というくらいの量だ。段ボール4箱分ほどをBOOK OFFに持っていったら6000円ほどになった。

■帰宅後親子丼を食べたら猛烈に眠くなり、ちょっと仮眠しようと電気をつけっぱなしで布団に入ったが最後、朝まで寝てしまいましたとさ。

コメント欄に返信

コメント欄にそのまま答えると長くなってイヤなので、ここ何日かのコメントへの返信を書きます。はてなもコメントの最初何行かだけ表示できるようにしてほしいなぁ。ということを毎回書いているのだった。
■あんみつさん
・1/29

数年前に卒論のためのインタビューを、それから昨年卒論のためのアンケート調査に協力を申し込まれたことがあるのですが、そういえばアンケートの方は設問を読んで、どこかしら抵抗を感じたのでお断りしました。今にして思えば、メディアリテラシーと関係あったのか。

自分が情報源である時に、自分の語ることが伝える側によってどのように変わっていくかを見据えて態度を決定するというのは、まさにメディアリテラシーの目指すところだと思います。

■A渡辺さん
・1/29のコメント、全面的に同意します。そして、1/30

加害者の親にしてみれば子供の代わりに刑務所に入れてほしい、死刑にでもしてほしい気持ちになるのではないでしょうか。長崎の事件では特にそう思いました。そうしたこともみんなで考えてほしいと思います。

この、みんなで考える時に自分の立場を明らかにすることを忘れないようにしなければならないと思いました。例えば長崎の事件(一昨年、去年どちらの場合も)で加害者の家族から日常を奪わないようにするためには、自分が被害者/加害者どちらでもない=どちらにも成り得るということを考えることが必要だと思います。「清く正しく美しく」生きたくてもどうにもそうできない状況になってしまったとき、どういう心持ちになるのか。そんな時、人にどう接してもらいたいか。想像力が問われるところですね。

■学ちゃん さん
・ハンドルネームに「ちゃん」とか「くん」とかついている人に「〜さん」と呼びかけるとちょっと変な感じですねぇ。さて、1/29

山田さんにとって、中3生が進学もせず就職(バイトも)しなかい道を選んだとして、それも「進路が決定した」と定義づけられますか?

「しなかい」は「しない」のミスタイプですよね。それとも「しかない」のミス?まぁ、どちらにしても、「道を選んだ」のなら進路を決定したということですよね。定義付けする必要もないことだと思います。

もっとも「これでホントにいいのかなぁ」と決定した進路を進むことに自信が持てず、実現させることが困難だという人はいるでしょう。この場合、結果的に生き方がふらふらしちゃうこともあると思います。ですが、「決める」ということまでは自分でやれたということにはなりますね。

■とざん渡邊さん
うちの事務所に下げる暖簾作ってください。