漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

親と振り返る不登校期

■幽霊スタッフ角道です。こんにちは。以前投稿された山川さん同様、私も中3のころ不登校を経験した人間です。ただ今回は子供と同じく当事者である親の目線も交えつつ不登校を考えたいと思い、当時の体験を私の母と話す企画(?)を勝手に立ち上げてみました。

■しかし話を切り出すのは大変に勇気のいることであります。案の定、今回も肝心な時に冗談交じりに話す私の悪癖炸裂。結局ソファーでドラマを見ながら数分話すという謎展開に…。タメになるか微妙ですが書くことにします


■まず始めに学校に行かなかった頃を思い返してみる。(といっても私の目線は少なめに書きたいのでパパッと振り返ります)

■基本母は「早く学校行け」と急かすような言動はとらず、なるべく普段通りに接してくれ、時折、小競り合いみたいなものがあった感じですかね。昔は喧嘩になるたびムッとしてたけど、今になって考えたら、抑えてた感情が爆発するのは至極当然。子もつらい、そして親だってつらいんだ。

■そんな不発弾を抱えた家の空気は常に重苦しくて、今でもあの感覚が忘れられない。そんな空気が緩む瞬間は、親が外出して家にひとりでいる時や、休日だった。そして母もまた、旧友とランチや買い物に行ったりと、ひとりの時間を作ることで自分を保っていたという。やはり親も子もお互いに居場所なり、ひとりの時間なりを確保するのって大切なのかな? って思いました。

■話を切り出した時、はじめに母から返ってきたのが進路・先行き不安関連の問題でした。

「一体何処へ進めば良いのか、その選択肢すら分からなかった」

確かに私も不登校になるまで別室登校のことも、学校にカウンセラーがいることも知らなかった。カウンセラーさんからはフリースクールに通うことを勧められましたが、そこは満員で結局卒業まで入れずじまい。そう。中学校にも待機児童はいるのです。たらればは嫌いだけど、その当時漂流教室と出会えてたらな〜と思ったり。


■今回の超ザックリした会話から、進路の選択肢を知ること、親子双方の居場所を確保することが大切なんちゃうかと感じました。まず進路ですが、一度不登校になったらもう終わり…なんて事はまったくない。(充実度はさておき)フリースクール通信制高認試験等々、先の選択肢はたくさんあるのだから。現在は通信制高校の説明会もあり、より自分に合った高校を選べるようになっている。

■ただ、自分の子が不登校になった時どれだけの方がその情報を活用できるだろう? そして親御さん自身も、“不登校の子を持つ親の会”など、悩みを抱えた人同士繋がれる場がある事をどれだけ知っているだろう? もっともっと知ってもらいたい。長々と語り散らかしてしまい申し訳ありません。いやはや、まとまらん。それではまた。