漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

隙あらば後志

◾️金曜日夜に9月で無くなる狸小路7丁目にある「コピティアム」に、理事の横山さんとその友人、相馬と4人で飲みに行ったことは書き留めておく。

◾️土曜日は夕方から余市教育福祉村の理事会に出席。10月に行われる収穫祭と来年の25周年記念誌・行事についての打ち合わせをした。自分は今年から理事になったが、それはこれまでの理事の方々が高齢になり、様々な活動を自分たちだけでは出来なくなってきたことが背景にはある。設立した人が働くことは当然だけれども、現場仕事以外に後継者を育てるということも仕事にしないといけないのだな、とよくわかる。

◾️その後、札幌に戻っていつもの夜回りの会議。車を家において終了後の打ち上げに遅れて行ったら、朝日新聞の中塚記者が同席していてやや驚いた。(日曜日)

桐一葉

アスファルトを突き破りにょきにょきと生えているなにか。

■葉っぱはこんなに大きい。What is this?

■はじめはヒマワリかと思ったのだが、茎をみるにどうも木のようだ。プラタナスにも似ているけど、あれはもっと葉が切れ込んでいる。悩んでいたら、ボランティアスタッフの木村君が桐じゃないかと教えてくれた。これが桐かー。タンスになるあれね。家紋と花札でしか見たことがなかった。北海道にも生えてたんだ。

■そして夕方。あらためて桐かどうか確かめようと思ったら…。

根元からぼっきり折られている。なんてこった。「桐一葉」とは桐の葉一枚が落ちたことで秋の訪れを知る、転じてわずかな前触れにより大勢を予知することをいうが、一枚どころか一本丸ごとなくなってしまって、これからどんなことが起きるやら。

www.hikipos.info

■桐とはなんの関係もないけど、とてもいい記事だったので紹介。ラストの三文が特にいい。

たまに出かける訪問

■久しぶりに訪問先の子と出かけてきました。目的地はアニメイト

アニメイトは初めていきました。訪問先の子は二回目。先月に初めて行って、また行きたい!という訪問先の子と、私も行きたい!という私の二人の意見が合致したので、夏休みの期間を使って行くことにしました。普段は学校や送迎があって夕方からの長い時間の訪問は無理な私たち。夏休み万歳。

■訪問先の子の最寄りの駅で待ち合わせをして、地下鉄に乗ってアニメイトへ。土砂降りの雨の中、行きの切符を買う時に傘を券売機の前に置いてきてしまうというハプニングがありましたが、雨がっぱを持っていたので問題なし。傘にも名前を書いてあったので、帰りに駅事務所に届いていた傘を回収することも出来ました。

アニメイトでは主に缶バッチを購入。初めて買いましたが、お目当てのキャラの缶バッチが当たるとは限らないんですね。「9種類中どれかのキャラが入ってます」なんですね。知らなかった。でもその分欲しいキャラが当たった時は嬉しい。これがいわゆるキャラを「お迎え出来た」っていう気持ちなのかな。私が欲しかったキャラは来なかったけど。

■メインで欲しかったのは私も訪問先の子も『僕のヒーローアカデミア』というアニメのグッズだったんだけど、次に欲しかった『ゴールデンカムイ』のコーナーにはキロランケのキーホルダーしかなくて笑った。いや、笑ったけどちょっと残念。白石欲しかったな。

■前回行った時よりもかなり商品が変わっていたようで、帰り道にまた行きたいと話しました。といっても使えるお金に限りがあるので、次は冬に行こうと約束。

■最後は待ち合わせした駅まで行って解散。別れ際、お礼の言葉を言われて言った本人も言われた私も戸惑う。なんだろう、家の中で会うのと外で会うのとではやっぱり何かが違うのかな。いつもと違う環境は人をかしこまらせる。そういうのは、私たちの間に無くていいよ。

観光そして髪染へ

■皆さんこんにちはボラスタの山川です。肌寒いですね。

■9月から山川は暇になります。とりあえずやりたい事を少しずつやっていこうと思います。まず東京観光ですね。友達が東京に行るので行きたいなと思い計画しています。主に古着屋巡りをしたいなと思います。次に髪を染めることです。襟足を金色にした後赤い色を入れようかと思います。ああ楽しみ。

■9月いっぱいはお休みして10月からまたバイト探したりします。[結論:次はなんか早めに終わるバイト探す]ではまた。

すずし

■うん、夏が終わったと言っていい気温になってきましたね。

フリースクールの全国組織の中で色々と考えるべきことがあり、今年は全道の集いをお休みして東京に行こうと思う。テレビではそろそろ夏休み終わりということで子供の自殺防止の動きが出てきたり、不登校新聞編集長が50分もの番組に出演したりと中々盛り上がっている不登校界隈だが、そんなに浮かれる前に考えなきゃならないこともあるんだよ、と思っている。ほんと、どうしたものやら。(火曜日)

正しい不登校

■昨年、「#不登校は不幸じゃない」を仕掛けた人が今度は「正しい不登校のやり方」なるイベントをするそうで、さすがになんだかなあと思っている。「不幸じゃない」も勝手にジャッジメントするなと批判をあびたが、まだ世間の偏見への抵抗と捉えることもできた。でも「正しい」まで行ってしまいましたか。そうですか。

■昨年出た本の副題にも書いてあったので、意図して使っているのは間違いない。で、そこを狙いたい気持ちはよくわかるのです。なぜなら、親の会やフリースクールはこれまであえて「正しさ」を取り上げないようにしてきたから。それゆえ「正しさ」を欲する人たちがいるから。

学校は行かなくてもいい ――親子で読みたい「正しい不登校のやり方」

学校は行かなくてもいい ――親子で読みたい「正しい不登校のやり方」

■「学校に通うのが当たり前」「勉強して当然」「学校のルールは守るべき」…そんなたくさんの「正しさ」に待ったをかけた(かけざるを得なかった)のが「不登校」で、そのために「おかしい」「普通じゃない」といった偏見にもさらされた。なにが正しいか正しくないかではない。個人が個人としてどう生きるか、そこにまわりがどうかかわるかの話だと何年にもわたって訴え、ようやく文科省の通知にも、不完全ではあるが「不登校は『問題行動』と判断してはならない」「不登校児童生徒が悪いという根強い偏見を払拭し」という文言が盛り込まれた。世間的な「正しさ」に苦しんだ経緯から、子供や保護者にその物差しをあてないことは、親の会やフリースクールではなかば不文律となっている。

■だが、現在進行形で悩んでいる人は、ときに「正解」がほしくなる。それが悩みというものだし、情報化社会の宿命でもある。役に立つのか立たないのか、あいまいな話ばかり聞かされてもモヤモヤは晴れない。ムダな時間を過ごすより、はっきりした指針、これという特効薬がほしい。そう思うのは人情だ。前段であっさり「親の会やフリースクール」と書いたが、なかには先生然とした人がいて、保護者の訴えにあれこれと説法するタイプのものもあった(俺のなかで勝手に『修行システム』と呼んでいる)。「正しさ」を避け続けるのは難しい。

■なので、「正しい不登校のやり方」という惹句を選ぶ気持ちはわかる。あきらかに求めている人がいる分、訴求力がある。

■だが、求めた答が得られるかはわからない。前にも書いたが、「明るい不登校」を思わせる。かつて「正しさ」のかわりに「明るさ」という評価基準が導入された。なにが正しいか、正しくないかは問わない。でも、せめて明るく元気であってほしい。「明るさ」は不登校に優劣を生み、目標となって子供と保護者を追い詰めた。「正しさ」は優劣と相性がいい。おなじ轍を踏むおそれは充分ある。

■正解を求めて追い詰められるなんてバカみたいと思うが、これまでの弱点をおぎなう妙案もない。それに最近じゃ教育機会確保法に沿った支援、対策が「正解」となりつつあるわけで、こんな説教じみた話ができた義理かとも思う。こんな逡巡も自己満足かという気もしたり、なんだかまったく冴えないな。


…と、「明るい不登校」はすっかり葬られたつもりで書いていたら、奥地さんの新刊タイトルがまさかのそれなの!? マジかー。ゾンビよろしく甦り。見た瞬間、血を吐いたぜ。