■一日目に雨で断念した洞爺の災害遺構散策路へ。2000年の有珠山噴火で災害にあった町の様子がそのまま残されている。泥流に埋まった建物、流された橋、地面の隆起で階段状になった道路、そしていくつもの火口。
■ここに住んだこともない俺が軽々に言うべきではないが、この町は「被災地」ではないと感じた。有珠山という日本有数の活火山をそばに、ときに噴火の被害にあいながら、それを飲み込んで町をつくってきた。そんな印象を受けた。
■泥流が押し寄せた小学校は、いまは「洞爺湖ビジターセンター・火山科学館」となって洞爺の自然と防災を伝えている。その裏はすぐ散策路。「被災地」というより、火山とともにある「火山地」とでもいったらいいか。ここ百年の有珠の周期だと、あと10数年後にまた噴火があるかもしれない。そうしたらまた新たな遺構と知恵が積まれていくのだろう。
■たとえば厚真は「地震地」になるだろうか。違う災害を比較する愚かさは理解しつつ、そんなことを考える。逆説的な言い方になるが、「復興」なる言葉が町を「被災地」にしてしまっていることはないか。
■洞爺湖温泉がわいたのは明治の噴火の際だという。噴火とともに変化する洞爺の姿は、そういった「目に見える」恩恵もきっと関係している。やはり簡単には比べられないが、「復興」はどこか、現状をよくないものとし、災害がなかった状態を目指している感がある。学校を休んでいるだけなのに、「不登校」として「学校復帰」を求められるのに似ている。
■なんてことを考えながら帰ってきたが、いや、やっぱりなんとも言えんな。厚真にも行ってみないと。東北にも九州にも北陸にも。(5/6朝)