漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

小学校

■皆さんこんにちはボラスタの山川です。秋も終わりに近づいてきましたね。

■さて先週の日誌で学校に行き渋り出したきっかけのお話をほんの少しだけお話ししたので今回は本編を話していこうかなと思います。小学校4年生までは学校が終われば小1から通ってた学童クラブに行くことが決まっていました、学童クラブでドッヂボールをやったり鬼ごっこをやったり、放課後はそこに通ってました。それから学年が上がり5年になった頃、学童クラブはそんなに行かなくなりました。

■クラスメイトと遊ぶのが楽しく、カードショップに行ったり、公園でゲームをしたりずっとクラスメイトと遊んだりと放課後の時間は凄く充実してました、でも学校の時間が結構辛かったんですよね。学校に行くことが辛かった訳ではなく担任の先生と話すことが嫌で嫌でしょうがなかったです。その担任の先生も5年生の時からの引継ぎで2年同じだったんですけど、5年生の時には感じなかったクラスの中にある順位というものが6年生になって見え始めてきました。

■勉強が出来て運動もできる子、先生の事が好きな女子生徒はお気に入りで常に順位で上位の方でした、たとえ宿題をやらなかったとしても怒られることはほぼないし、たまたま宿題をやってきたと思えばものすごくその子を評価し、テストで良い点を取れば大丈夫だからという感じのクラスでした、でも自分は宿題をやっても褒められないし、勉強や運動もできる方ではなかったです。だから一回宿題を忘れただけで怒られて一日中先生の自分に対しての機嫌が悪かったこともありました。

■一番印象に残ってる最悪だった出来事がクラスの中で漢字書き取り50問のテストをしたときの話です。テストが3時間目にあり、テスト返却が5〜6時間目に行われました。テストを返す時先生が、全員の名前と順位と点数を発表し始めました。当然自分の順位は下から数えた方が早かったのですぐ呼ばれテスト取りに教卓に向かうと「もう少し勉強したら?」と言われました。そのテスト返却の時間は今思い返しても最悪の時間だったなと思います。学校の先生というものが少し苦手になった瞬間でした。

■それから卒業までの間は本当の自分を隠すようにしました。毎日小学校に通ったし、先生に逆らうこともしませんでした。これが小学校の最悪だった出来事、学校に行き渋り出したきっかけです。自分の過去や経験を誰かに話した時、前までは話すことですっきりしてた部分があったのですが、今回の小学校の出来事は話してもすっきりしない出来事ですね。今でも忘れないです。長々と失礼しましたではまた。