■こんにちは、ボランティアスタッフの高橋です。
■最近小説を読むことにハマっているのですが、中でも辻村深月さんの本はとても良いなと思っています。そのなかで、『凍りのくじら』という本が自分の中にすっと入ってきました。
- 作者: 辻村深月
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2008/11/14
- メディア: 文庫
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■その中で主人公が自分を表すことばとして使っているのが、「少し不在」。高校生の主人公は、クラスの少し暗い子とも、違うクラスの元気な子とも、そして違う学校のギャルっぽいグループとも、大学生の彼氏とも、相手が喜ぶような姿を見せることができて、それをしている自分を見るたび自分は不在だと思う。自分としてはすごい共感できました。
■コミュニティって属性があって、その属性に合わせると合わせた分だけ一員として認められているような気持ちになります。だけどじゃあその「合わせる自分」は本来の姿なのかどうか。虚無感が来るのは、合わせることについて「できてしまった」と見たからかもしれません。
■そして、「コミュニティの属性・コミュニティへの貢献度と評価」っていうシステムはすべてに当てはまっているわけではなくて、それによらない次元でコミュニティが成り立っている場合もあると思っています。いや、「貢献度に感心がない」という属性をもったコミュニティかもしれません。いずれにしても大切にしたいところであることは変わりありません。
■それでいうと、先輩後輩の関係というのは、自分は居心地が悪いようです。自分が先輩でも後輩の立場でも何か貢献と評価の軸が見え隠れするからです。特に先輩の立場であるときの自分は難しい。どうにか先輩後輩をやめてフラットにしたいんですが、フラットにできるのは相手もそう思っている人になってきてしまいますね。
■ついでに、携帯電話を操作したことについて殴られたっていうのは、コミュニティの属性についての無理解を糾弾されたということなのでしょうか。まあ小説から自分の世界について色々思えるというのは楽しいことでもあります。ではでは。