■ども、吉田言です。はじめまして。漂流スタッフ6年生です。よろしくお願いします。
■10月6日に札幌エルプラザで行われた、不登校新聞社Fonte主催「不登校・ひきこもり、親はどう支えたら?」に行ってきたので、この場で感想を綴らせてもらいます。
■前半はNPO法人東京シューレ理事長奥地圭子さんの講演と不登校の元当事者の体験発表、後半は奥地さん、不登校体験の発表者、不登校の親の会や支援者の3グループに分かれ、それぞれでディスカッションする交流会をしました。前半の司会進行は相馬が行いました。
■以下、ざっと感想(会の内容とは少しばかりずれています、たぶん)
■不登校やひきこもりをどのように親は支えたらよいのでしょう? 親がわが子の生き方に対して受容しようと尊重しようとする態度や考えをとっていると、こどもはきっと家に居易くなるでしょう。そして、それがこどもの自己肯定感や安心感の獲得につながると思います。では、親が受容的な親に変わるためにはどのようなことが必要なのでしょうか。親の変化やそのきっかけについては、夏に帯広で行われた不登校の全国大会や個人的に関わっているひきこもりの当事者の自助グループ、親の自助グループに参加する中でここ最近ずっと考えていました。受容的な親に変わるためには、親自身が現在の自分をありのままに誰かに受容される経験が必要だと思います。受容してくれる人は、配偶者かもしれないし、親の会の人かもしれないし、もしかしたら支援してくれる人かもしれない。
■その背景には、こどもが不登校、ひきこもりになったことについて親が親戚、近所の人、もしかしたら配偶者から「お前の育て方が悪い」と責められ否定される経験が存在すると思います。もしかしたら、親自身が自分で自分を「お前の育て方が悪い」と責めているのかもしれません
■また講演を聞いている中で自己肯定感のことを考えました。日本人の自己肯定感は先進国の中でもダントツで低いようです。その要因の1つして幼い時から短所を指摘され改善することばかりを求められ、長所を褒められるという経験が非常に少ないことがあるそうです。
■そもそも自己肯定感とは何でしょう? 「ダメでもよい」、「失敗してもよい」と自分自身の負の部分を認められるニュアンスというのが自分の中で最も腑に落ちます。しかし実はよくわかりません。
■後半の交流会は親の会や支援者のグループに加わりました。話を聞いていて「学校に行きたいけど行けない」「友達と仲良くしていきたいけどできない」「こどもの生きかたを認めたいけど認められない」という二律背反する感情はなかなか受容や理解をされないものだなと痛感しました。このことは本当に難しいよなあ。
■マルハのカルビ丼を食って帰る。タレの味変わった?
■何かに行ったときや参加したときにまた日誌を書くかもしれません(自分、大変不精なタチなので定期的にリレーで書くのはムリっす)。ではまたそのうち。