漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

ノルウェーの小中学校を見てきました

■ボランティアスタッフの坂岡です。7日までノルウェーオスロにいってきました。そして向こうの小・中学校をみてきました。僕が見に行った学校の目標としてsocial competency(社会的能力)を子どもに身につけてもらうことをとても大事にしていることが伝わってきました。それは、日本でよくより沙汰される「コミュニケーション能力」とはちょっとニュアンスがちがう気がします。それは、「相手の立場に立って物事を考える共感性や想像力」、「相手の言うことに耳を傾ける態度」、「もめ事が起こった時に、それに自分で対応できる力」、「自分の感情や気持ちをきちんと伝えることができる能力」などを示しているようです。日本語のニュアンスで言えば、「オトナになる力」とでも言ったらいいんでしょうか。

■もちろん、子どもですから簡単に「オトナ」になれるわけもなく、(というか、むしろそれを当然の前提として、)先生や高学年の生徒たちのフォローを受けつつ、関係性を養っていくことができる仕組みになっています。普段の授業ではわざともめごとが起こりやすいような設定の「共同遊び」を授業として取り入れ、仲間関係を作りつつ、トラブった際の「こんなときどうする?」を先生が教えます。

■また、「学校仲裁所」という制度があり(公的に認められており、多くの学校で取り入れられている)、自主的に立候補した高学年の生徒が仲裁員になります。そして、もめた当事者がお互いに安心して自分の気持ちを語り合い、聴き合う場を設けます。勝ち負けを競ったり、どっちが悪いかを決める場ではなく、互いの言い分を十分に伝え合い・聴き合うための場になっています。そして、お互いに納得のいく距離を見つけます。対話を通じて、いろいろな気づきも生まれます。たとえば、「無視されてたと思ったけどそうじゃなかったんだ」とか、「相手も傷ついてたんだ」とか、「俺ってこんなこと思ってたんだ」というようなことです。一人一人の「感情」と「事実」と「じゃあこれからどうしていったらよいか?」という三つを大事にしているところが印象的でした。

■こうした仕組みがそのまま日本に取り入れられるかどうかはわかりません。ですが、「自分の言い分をしっかり聴いてもらえる」、「相手の言い分を聴くことで、相手には相手の世界があるという関係性の奥行きを体験的に知ることができる」のが、当たり前の環境のもと、子どもたちが育っている、ということが僕にはとても魅力的に感じました。それは、「仲良くしろよ!」、「いじめかっこわるい」と、「外的」規範として「教える」のとは違やり方でしょう。(それも必要かもしれませんが。)「関係性の奥行きを知る」ということが、実際の「喜び」とか「悼み」として体験されなければ、積極的な動機付けにはならないと思うのです。(「喜び」でなくてもいいと思います。「そっかあ。人と関わるってこういうもんなんだ。」「こういう時、こうすればいいいのか……。」という情緒を伴った「学び」というか。)

■「人と関わるのって、イタイけどオモシロイ。」という感覚を、体験的に(あるいはモデリングによって)「身をもって知る」ことのできる環境。直接的ないじめ対策にならなくても、こういう感度を自然に身につけられる雰囲気は、いじめが起こりやすいチクチクした雰囲気を落ちつけたり、和らげられるんじゃないかと思います。そして、「ノルウェーにはそれがあるなあ」と何となく感じたのです。