■北海道臨床教育学会のシンポジウムで話をしてきた。漂流教室の活動は「関係を続けること」に重きを置いている。例えば訪問。長く続けていると、子供にもスタッフにも変化が生まれる。「一緒に何をするか」に腐心していたのが、半年一年と経つうち、「何をしないでも一緒にいる」になる。話す内容も、趣味の話から「この一週間にあったこと思ったこと」に変わる。
■子供もスタッフもそれぞれの生活がある。その中で喜んだり悲しんだり、日々揺れ動いている。揺れ動く個人と個人が会い、話をすることで自分を確かめ、相手を確かめる。訪問とは、(子供にとってもスタッフにとっても)定点観測の観測点のようなものなんじゃないか、という話をした、のだが…。
体を動かし 心を遠くからひきよせ
僕らは進む 少しずつよりよくなるのさだからBABY BABY BABY…君に会いに行くよ
今すぐにBABY BABY BABY…君を抱きしめに行くよ君を確かめに 僕を確かめに
君を確かめに 僕を確かめに行くよ
(BABY BABY BABY/真心ブラザーズ)
■さすがに抱きしめには行かないが、俺の考えつくことなんて、みんな倉持が歌ってしまってるのさ。俺の話より真心を聴けばいいのさ、と言うつもりが時間がなくて言えなかった。ごめん倉持。
■ちなみに「観測点」の役割を果たすためにはルーチンが大事になってくる。毎回バラバラに計測してちゃ比べられないからだ。毎週同じ曜日の同じ時間に同じ人が同じように訪問するのは、そういう狙いがある。そして、内省には穏やかな時間が必要だ。楽しい話題、お気に入りのアイテムを持ち込んで、面白おかしく訪問時間を過ごすこともできるが、それじゃあ肝心の相手と自分を確かめられない。「スペシャル」は要らない。
■シンポジウムのテーマは「語りあい・聴きあう臨床教育学への期待と研究の展開」。パネリストは俺の他に、小中高の教員、大学教授、保育園、学童保育の関係者。全員に共通して出てきたのが「生活」という言葉。子供を理解するためには、彼らの生活ごと理解しなくてはならない。その地域で長く生活することで、教師は子供の環境も見えるようになってくる。子供の生活圏内(=徒歩圏内)に学童保育や学校があるべきだ、などなど。
■だから、きっと「臨床」=「生活」なんだろう。生きてるってことは変わるってことだもんな。