■訪問後、「子どもの権利条例」施行一周年記念シンポジウムへ行く。参加者50名程度。札幌自由が丘の高村さん、北海道自由が丘の斉藤くんの姿もあった。
■「子どもの権利条例」はどこかピンと来ないところがある。アシストセンターから送られてくる会報を読むたび、その思いが強まる。それがなにか、シンポジウムを聞いていて分かった。
■現状での「子どもの権利条例」は、保護者や学校など子供を取り巻く環境がそこそこうまくいっており、子供も学校に通っている、そういう中での権利侵害を主に扱っている。家庭がきつい状況にある、学校にも行ってない、そういう子にはそもそもアシストセンターの情報が届いてない。いや、届いていても相談するかどうか。他人に話すのは、それだけのエネルギーと希望が要る。そのギャップがピンと来ないことの正体だ。多分。
■でも、俺も急ぎすぎなのかもしれない。急を要するところに先ず手を尽くして欲しいが、なかなか正体を見せないからこそ重いケースなんだとも言える。小さなことでもおろそかにしないことで、いざというときに力になるのかもしれない。シンポジストのひとりである、子ども未来局の人は時間軸で見た権利保護という話をしていた。緊急で対処すべきこと、そして、ひとりの子供が大人になるまでを見守ること。ふたつの時間軸が「子どもの権利条例」にはある、と。
■現状、アシストセンターに「緊急で対処すべきこと」へのアプローチ手段はほぼない。とすれば、わずかながらでも関わっているところが(例えば漂流教室が)繋ぎの役目を果たしてもいい…のかな。それはそれで、何か置き去りにしてるものがありそうだ。考える。
■なにか、おお、という発言を聞いたのだが思い出せず。帰りに『血まみれスケバンチェーンソー』買っちゃった。だからか。