二十九日に入学試験が行われる、知的障害者を対象とする道内の高等養護学校の志願者が、総定員を五十人近く上回る異例の事態となっている。従来は高校などに進学していた、比較的障害が軽い生徒たちの出願が増えたためとみられ、障害者団体の関係者は「軽度発達障害の子の受け皿が十分ではないことが原因。結果的に障害の重い子の行き場がなくなる可能性がある」と懸念している。
道教委によると、重度・重複障害のある生徒を対象とした夕張高等養護学校を除く、道立高等養護学校十一校と札幌市立の豊明高等養護学校の合計定員は四百八十人。これに対して二〇○七年度の志願者は最近十年間で最多の五百二十六人。特に札幌近郊の学校に志願者が集中し、十二校のうち、札幌高等養護学校など七校で定員を上回った。
最近では総出願者が総定員を十人程度上回ったことはあるが、これほど多数の出願があったことはないという。
出願者の増加について、空知管内の中学教諭は「軽度発達障害の生徒が一般の高校の受け入れ態勢を不安に感じ、高等養護学校を選ぶケースが増えている。実際に高校でうまくいかず退学する場合も少なくない」と指摘。札幌の障害者団体の関係者は「比較的重い障害のある子が浪人したり、(定員に空きのある)自宅から離れた学校に行ったりせざるを得ないことになる」と懸念する。
■北海道新聞1月29日朝刊より。この記事の書き方から、「障害の程度が軽いなら○○しろ」という話が生まれることをぼくは懸念している。重度・軽度というのは、どのレベルまで知的発達が進んでいるかによって判定されるわけだが、重度より軽度の方が生活できる/学校に適応できる、ということにはならない。重度の人には重度なりの、軽度の人には軽度なりの悩み苦しみがあるのだ。軽度の場合、普通の学校生活を送れるだろうという周囲の判断と実際の能力とのギャップに、本人が悩み苦しむことが多い。そのギャップは障害故のものだから、本人が努力して改善されるものではなく、周囲がその子を受け入れるように変わる努力を要求される。「一般の高校が軽度の子を受け入れるようにせよ」という話はそれ故難しいし、「重度の障害を持つ子供たちを優先的に入学できるようにせよ」という話は「聴覚障害と視覚障害なら、視覚障害の方を優先的に対応せよ」と言っているのに等しい。
■小中学校の特別支援教育コーディネーターが、発達障害の疑いがある子に検査を受けるよう親に指導し、結果、障害がわかると「障害を持っているなら、うちの学校では対応できません」と言ってしまう事例を、既に聞いている。ここまで象徴的なエピソードでなくても、漂流教室で関わっている発達障害の子供で学校とうまくやっているという話は思い出せない。こんな小中学校時代を過ごしたら、高校からはきちんと教育が行われる学校へ行かせたい、と親が考えるのは至極当然のことだ。バリアフリーはスロープやエレベーターを街に増やすことだけではない。我々自身が障害を持っている人を受け入れるように心を工事する必要がある。