漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

八月のメディアリテラシー

■昨日の運動で全身の筋肉に心地よい張りがある。これをほぐすためにまた少し体を動かして…、とやっていくと痩せそうだな。

■英語をやっている訪問先で、aやtheの使い方や「didがあるから過去形にしなくていいの?」と質問される。こちらが教えようと思っていることよりも子供自身が疑問に思ったことの方が絶対頭に残る。畢竟学習とは本人がやるもの。お節介にも「これを覚えるといい」と言うなら、何故自分がそれを伝えようとしているかはっきりさせ、それも説明するのがお節介する時の礼儀だろうと思う。さて、自分はできてるかな〜。

■八月にはドキュメンタリーやらドラマやら戦争ものの番組が多い。その中で最近見かけるのが「戦争に行った人たちは身近な人のために戦うことを選んだのだ」という言説だ。さらに「そういう人たちがいたことを忘れないようにしよう」とくることもよくある。戦争という重層的な事象を個人の心の問題に帰着させて飲み込ませようとする、こういう言説がぼくは嫌いだ。

■大体、昔の人たちはこんなだったんだよ、と今の人が語っているなら、それは現在のその人たちの気持ちだ。決して昔のことなんかじゃない。今の自分の気持ちを語るのにちょうど良い出来事だけを切り取って見せているだけだ。それなのに「ほら、今も昔も変わりがない。ぼくらはこうだったんだよ」とあたかも昔を見たように語るやつらには要注意だ。

■小難しく話せば、戦争当事者ではない我々は、そもそも空間的にも時間的にも外部の視点からものを見ることしかできないはずだし、外部から見るからこそ過去の戦争を重層的に語り未来に活かすことができるはずだ。それを単純な問題にすり替えてしまう人は、現実を見つめる努力を放棄して自らの居心地良さに浸っているのだ。バーチャルリアリティはゲームやビデオの中だけにあるのではない。

■訪問三件。雨がちなり。