■高校の教師をしている友人から電話が来た。以前、その高校を受けたいという子供のために、不登校の子供を受け入れているか訊いたことがある。それから3年。その子が無事卒業した、という報せだった。そのことも無論嬉しいが、わざわざ連絡をくれる心遣いがまた嬉しい。
■子供たちの「その後」はいつも、いや"いつも"は言い過ぎだ、たまに気になる。期待半分と不安半分と。気になるのはこっちの都合だから、敢えて連絡は取らない。今回のように風の便りに聞くくらいでいい。それでも、「漂着教室」開設の折には、かつて訪問していたところに挨拶状くらいは出そうかと考えている。
■「その後」が気になるのは学校の先生も同じだろう。"風の便り"を届ける仕組をもっと整えてもいいかな。「漂流教室」を始めたばかりの頃、とある親の会代表から「学校と連絡を取るなんてとんでもない。そんなこと聞いたこともない」とえらく叱責された(正確には叱責された"らしい"。その会にいた人からの伝聞)のだが、子供自身が拒否したならともかく、この理屈はおかしいと今でも思う。
■朝起きられない、と山田が不平を述べていた。ふーんと思って聞いていたが、俺も今朝寝坊した。単純に暖かくなったからじゃないか。春眠じゃないか。己の身に関わると思えば、途端に言い訳も思いつく。何でも「早寝早起き朝ごはん」全国協議会なんてものが出来たそうですが、これは春眠です。季節を感じ、自然に親しんで生きてます。美しい日本の四季を体感しています(そもそも『春眠不覚暁』は中国だけど)。あ、対象は子供だけですか。何だ、関係なかった。
■協議会をつくって今後何をやるのか知らないが、夜の10時を過ぎたら送電ストップ、朝食は全家庭宅配にすればきっと実現出来るよ。頑張れ。さ、訪問行こう。(3/10 昼)
■学校と連絡を取ることの是非についてもう少し詳しく。子供との関係を築くために、独立性は保持すべきだ。親や担任の先兵で来るわけじゃない、あくまで君と俺との関係だ、という立場は守らなくてはならない。件の親の会代表の言葉を借りるなら、「親と連絡を取るなんてとんでもない」という言い方だって出来る。
■一方で、調整役としての第三者という役割もある。子供、親、教師はそれぞれ利害関係にある。関係ない第三者が介入することで、円滑に事が進むということはある。ソーシャルワーカーの重要性はよく語られる通り。訪問先の了承なしに動いたならともかく、連絡自体を頭ごなしに否定するのはおかしい。
■子供包囲網は避けたい。「進んで繋がらないことが大事」と前に書いた。だが、ひとっところでの囲い込みも避けたい。子供、親、教師の三者以外も教育に加わろう、というのが「漂流教室」設立の最初で、目指すところでもある。(3/10 夜)