漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

ゼロトレランスと呼ぼう

■「寛容さゼロ」と「すぐキレる」は同義な気がするけれども。これからは「キレやすい子供」ではなく「ゼロトレランスな子供」と呼ぶことにしよう。

■記事によれば、導入の先駆けとなった岡山の森靖喜校長はこの仕組みについて、「『だめなものはだめ』という価値観を上から下へ伝える」と説明しているが、それは間違いだろう。俺はこの仕組みを、行為と罰則についてきちんと規定しガイダンスせよ、と理解した。高野連駒大苫小牧ではないが、量刑が下す側の胸三寸で決まる仕組みは、行為の隠匿を招く。または懲戒権を持った者への阿り、その反動としての侮り。それらを防ぐため、行為と罰則の対応を明確に定め周知すべし。「価値観」の問題ではない。規則と運用の問題だ。

■行為と罰則の規定がなされるということは、そこに記されたもの以外は咎められない、ということだ。また、罰則以上の不利益を被ることもあってはならない。ガイダンスは懇切丁寧を求められる。規則を理解していない者に、違反も何もあったものではない。理解してなかった故の違反は、説明をした側に責任が生じる。

■また、罰則が妥当なものであるかどうか見直す仕組みも必要だ。学校という共同体の中での規則だから、当然、構成員たる生徒も参加してのものになる。「価値観」でも「道徳」でもなく「合意」。さらに、不当な処分を訴えるための外部機関と、裁定を下すための外部機関が要る。そして、これが最も肝心だが、罰を受けたことで、子供の教育を受ける権利が阻害されてはならない。それでは本末転倒だ。むしろ、より手厚い支援が必要になる。

■考えるだに面倒で、こんな大変な仕組みをよくもまあ、というのが率直な感想。下手をすればロクでもない事態を引き起こすことは、下記リンク先などで充分わかっているはずだから。発達障害へのバッシングを引き起こすことだって考えられないわけじゃない。それだけ学校はオープンな体制をつくろうとしてるんでしょう、と思っておく。
http://www.aba.ne.jp/~sugita/119j.htm
http://www.aba.ne.jp/~sugita/145j.htm(Shoji Sugita home page)


■午前中にフリースクールネットの役員会。来月中頃に2回目の懇話会を開くことに決まる。前回はなかなか好評だったこの企画。ぜひおいで下さい。また、各地の行政とフリースクールの連携を調べることに。同時に、こちらが行政と何をしたいのか、そこもはっきりさせないといけないな。そうそう、エルムライオンズクラブから、出来れば来年も一緒に企画を持ちたいとの声があったそう。今度はもう少し余裕を持った日程がいいな。

■会議後、自由が丘学園の金澤くんと昼飯を食い、そのまま自由が丘に来て日誌を書いている。金澤くんは、校外展で流すプロモーションビデオの編集をしている。来週の火曜日から、大通西13丁目の市民資料館ギャラリーで開催するとのこと。見に行ってみるか。ついでにうちのパンフも置いてもらおう。