漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

日程三転

■今日は訪問先それぞれに忙しい日だったらしい。あちこちから時間の変更依頼が来て、しかもそれが二転三転してもう大変。どうにかこうにか遣り繰りついてホッとする。普段こんなに集中することはないんだが。まあ、そういう巡り合わせだったんだろう。遣り繰りの結果、空き時間ができたので、こうして日誌を書いている。

■山田が昨日書いてたことと関係あるのかどうかわからないが、文部科学省の「情動の科学的解明と教育等への応用に関する検討会」というところが、「キレる子」にしないためには乳幼児期の家族の愛情や生活リズムの定着が大切、とする提言をまとめたそうだ。人間の情動は5歳くらいまでに形作られるとのことで、そこを逃すと「その後の取り返しは不可能ではないが、年齢とともに困難になる」そう。なので、「3歳ごろまでに母親をはじめとする家族の愛情を受けるのが望ましい」のだそうだ。なるほど、育児休暇を3年以上保証するということだね。

■道新では「子供の心の問題、早期治療を提言」という見出しがついていた。記事中、「心の発達上の症状」という言葉も。「情動」だから「心の問題」なのかもしれないが、それが本当に「心の問題」なのかどうかは、それ以外の可能性を検討してみなくちゃわからない。「キレる」と「心」はイコールで繋がるのか。「愛情」がその鍵を握るのか。提言が言及した対象を知りたい。公開を待つ。

■一昨日の日誌に変なタイトルのトラックバックがついてると思ったら、時々コメントをくれる工藤くんのところからだった。曰く「セクシャルの問題ってそれを知られて、そこだけを見てしまう人って多いと思うんですヨ。セクシャルの人が悩むのはその『特別扱い』や『差別的』な見方をされることにあると思う」。肝心なのは「特別な視点で見ずに接することが出来るのか」で「それは別にセクシャルだけの問題ではない」とも。

■指摘はその通り。ただ、特別視してしまうことへの懸念に加え、もうひとつ危惧していることがある。特別視しないことへの懸念。「普通の態度」は時に悩む人の声を封殺する。彼らには「普通じゃない」ことかもしれないのだ。共通するのは、どちらも自分の結論を相手に被せていること。自他の区別は基本中の基本。

■あちこちで雪虫を見たとの声を聞くのだが、俺は今年まだ一度も見ていない。そんなはずはない、本当の雪のような密度で飛んでいる、とは友人の弁だが、きっと近くに雪虫の国があるんだよ。綿の国星なんだよ。