漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

風呂に入れば思い出す

■大変さわやかな晴れの日。訪問二件、送迎二件。

■コメント欄で工藤さんの意見に関係するだろうことが、先週金曜日のLD懇話会のレジュメの中にあったことを風呂で思い出したので書き写しておく。

・精神病学研究の目標は、病変せる神経細胞を見出すことや確然たる診断をつけることにあるのではない。精神病を理解するためにはその個体を理解せねばならないのであり、彼の家系と発達の有様のみならず、種々の状態条件に於ける彼の発達の有様を研究せねばならぬ。
・横断面では理解できず、個体の全生活史の一時期として研究されねばならない
・ともかくも重要なることは患者そのものを理解することであって、単に精神病に名札をつけ、これを分類することにあるのではないのである
・病名をつける危険は、興味の停止を意味し、絶望と忘却に附されてしまう事があることである
・患者の人格構成、原因的要素および補助的原因要素の本態を理解し、(中略)そこまでいけば、吾人が得たる概念に対して、名をつけやうがつけまいが、それはたいした問題ではない(丸井清泰、1936)

Googleでぱっと検索したところでは、この丸井清泰という人は日本で初めて精神分析による治療を行った精神科医だそうな。この辺を出発点にして話しをしていくのはどうでしょうかね。