■雪のせいで道幅が狭くなり、車2台がすれ違えないところも多い。対向車が来たらとりあえず出来る限り道の端に寄る。道の端は除雪された雪がたまってすり鉢上の斜面になっている。そこに車体を斜めにして乗り上げる。ここのところの寒さで雪は固く凍っている。つーっと滑り落ちて、あわやタクシーと衝突するところだった。あと5cm。桑原桑原。
■午前中は通新作成。促進センターは相談員さんの趣味でサザンが流れていて、まるで自室にいるかのように作業がはかどる。その後、訪問2件に氏家医院の月例研究会。昨日ほどではないが、今日も道が混み、どこも少しづつ遅れて到着。よくない。初めての冬じゃないのだから、対策あって然るべき。
■山田は昨日の振り替えその他で忙しかった模様。週に一度の共同作業の日なのに、結局今日は会えずじまい。果たして、今週は会うことが出来るだろうか。
■古本屋で買った「こころの科学」第58号は、1994年11月の発行。1994年といえば、冷夏だった前年を受けての全国的な米不足に夏の水不足。関西国際空港開港。村山内閣発足(その前に羽田内閣発足)。プレステ、セガサターン発売。阪神大震災、地下鉄サリン事件が起こるのがその翌年である。
■特集の「学校カウンセリング」は、1995年度から都道府県ごとに1校の割合で専門家へのスクール・カウンセラー委託のモデル校を指定する、という文部省(当時)の方針を受けて組まれたものである。当時の不登校の児童生徒数6万人強。学校不適応対策調査研究協力者会議が「登校拒否はどの子にも起こり得る」との見解を示したのが2年前の1992年だ。
佐藤:(前略)どういう反抗にはどういう方法が適しているかが積み重なっていけば、生徒の話を聞くだけで治るという万能観、精神主義から脱して、学校現場に合ったカウンセリングが生まれると思っています。登校拒否もそうなんです。学校から離れたカウンセラーは、一生を通じて治せばいいじゃないかという考え方があるわけですが、こういうのは学校の先生にはなじまないのです。
國分:なじまないね。
佐藤:進級させたい、卒業させたいという教師の気持ちになじむ登校拒否のハウツーを私たちが構築しない限り、カウンセリングはだめなものだ、ぜんぜん学校現場を無視しているじゃないかと反発されるだけだと私は思っています。先生方がまず考えることは、この子は放っておけばいいのかどうか、あるいは家庭訪問して連れ出してしまえばいいのかです。あるいは、お医者さんに頼んでしまった方がいいのか。学校現場ではだいたいこの三つの疑問を先生方はもっているわけです。
この三つの疑問にどうやって答えるか、私はこの答えを構築しました。いまあちこちでこの話をしますと、先生方は本当に喜んでくれて、なかには、うちの学校には六人いますと言うので、その学校に行きましたら六人が六人とも登校できました。それは全部引っ張り出すとか押し出すだけで済んだ不登校だったわけです。
この場合、放っておくという方法の本を読んだ先生は、放っておいてなまけを覚えさせるだけという形になってしまう。
要するに学校教育にあてはまるカウンセリングを開発することです。
(「こころの科学」58号 p.89-90)
■座談会からの抜粋。教研などで話されることとあまりに同じで、なんだかな、という気分になる。見守るだけでいいのか、登校刺激を与えるべきなのかどうなのか。6年なり3年なりの限られた時間で何が出来るのか。別の個所には孤軍奮闘する教師や、日々の仕事に追われ何とか即効性のあるものを求めて研修に行くが、教師の心や態度、子どもの見方を教える研修会ばかりで現場で応用できない、という話も出てくる。これまたお馴染みの話である。
■結局、「学校教育にあてはまるカウンセリングの開発」はされなかった、またはされたが広まらなかったのだろうか。11年前の雑誌を読んで感じるのは、教師の孤立無援な様子だ。以前からあった指摘、または提言が何も生かされないまま、手探りで対応させられている状況。教師を支える仕組みがやはりいる。例えば合同教研でも、校内外でのネットワーク作りの具体的な取り組みなど、「教師を中心に据えた事例」を積極的に取り上げるようなことがあっていい。
■座談会では、「教師間の人間関係づくりのために構成的グループ・エンカウンター*1を校内研修に導入する」、「不登校生徒、学業不振の生徒の援助にスクール・コンサルテーション*2を導入する」、「教師のメンタルヘルスを保障、援助する仕組みを作る」などが挙げられていた。訪問先の子供の担任と会うことになりそうなところが1件ある。子供への支援はもちろんのこととして、教師へのサポートで出来ることがあるか考えて臨もう。