■お絵描き掲示板で井上陽水の話題が出たせいで、頭の中はずっと「心もよう」がかかりっぱなし。♪季節は巡りあなたを変える〜
■年内最後の訪問になるところがちらほら。クリスマスも過ぎて、「よいお年を」の挨拶もかっこつくようになってきた。長く訪問しているところ、今年から訪問を始めたところ、今年一年ありがとうございました。来年もよろしく。と、ここで書くのはやっぱりまだ早いな。
■去年末と比べて何かさみしいな、と考えてわかった。去年はスタッフの送迎を3件くらい持ってたのだ。今年は1件もなし。全て山田に任せている。単純に日程が合わなかっただけなのだが、何か仲間はずれにされたようで心寒い。勉強会などでは決して出てこない、車内で話すいろいろが面白かったのに。来年はなんとしても送迎時間を確保せねば。
■石垣りん死去。彼女の詩は今も教科書に載っているのだろうか。俺の学んだ教科書には、確か「表札」という詩が載っていた。「自分の住むところには/自分で表札を出すにかぎる/自分の寝泊まりする場所に/他人がかけてくれる表札は/いつもろくなことはない」。正直、詩なんてよくわからなかったが、リズムや力強さなど、何か伝わるものがあったのだろう。「石垣りん/それでよい」の部分がパロディも含め流行っていた記憶がある。
■「他人がいないなら表札はいらない」というのは、同じころ俺が愛読していたマンガにあった言葉。これまた同じように理解できなかったのだが、その言葉だけはなぜかしっかり残った。
■ところで、同じマンガに「な〜んだあたしはあたしだったんだ」というセリフがあって(下図↓)、こっちはなんだかとてもよく“わかった”。
そうそう、俺は俺なんだよと妙に興奮し、「あのさ、俺って俺なんだぜ」と友達に力説して変なヤツ扱いされたのは、えーと、確か中1。恥ずかしいな、この話。前に「本当の自分とは何かなんてことで悩んだことはない」と書いたことがあるけど、多分、このときに納得のいく何かを得てしまったんだと思う。だって、何がどうなったって俺なんだもん。じゃあ、それでいいじゃん。そして、仕方ないじゃん。
■13歳の俺にその後の礎を与えたこのマンガは『ネコじゃないモン!』というのだが、いま読み返すと、タイトルともども実に気恥ずかしい。ううう。