漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

当事者と本人と

グミチョコ5

■天気よく暖かい日。車の暖房を切り、気持ちよく窓を開けて運転。

■午前中は通信の印刷でセンターへ。午後からは石狩かめの会の例会に参加。来ている子供たちが15、6歳の男の子が多く、無駄に体力を余しているので、腕相撲をしたりぶつかり稽古をしたり片足バランスをしたり、とにかく身体を動かす。楽しかったが、隣で話し合いをしてた親御さんには迷惑だったかもしれない。

■夕方に、石狩から札幌は南区まで1時間での強行移動で訪問1件。歴史の問題を“出される”。豊臣秀吉の朝鮮出征は憶えてても、それぞれの名前と年代なんて忘れちゃったよ。「間違えるとデコぴんルール」は今回はなかったのでほっとする。19時に訪問先を辞して、そこから北海道子どもセンターへ向かった。

■スコレー札幌の栄花さんの呼びかけで、中学レベルの問題集をつくろうという動きがある。学校に行ってない子供が、さて勉強しようかと思い立ったときに、何をどれくらいやればいいのか分からないことがある。そんな時、とりあえずこれくらい出来ればよい、という指標になる問題集だという。「いつもここから」ならぬ「いつもここまで」問題集。本日、その第一回の集まりが子どもセンターであったのである。着いたのが遅くて、話は大方終わっていたが、これからも随時集まって作成を進めていくという。楽しみである。こういう案はどうか、こういう教材なら使ってみたい、といった意見要望などあれば、山田、相馬まで連絡下されたし。

■ところで「当事者」。ちょっと集まりに出れば、あちらにもこちらにも何かの(何のだか分からない人も多い)「当事者」がいて、当事者でございと当事者風を吹かせている。たまりかねて、「私は」「僕は」くらいの意味で「当事者」を名乗るなと日誌に書いた記憶がある。

■何か物事があれば、そこに関わる人は全て「当事者」だ。だから「当事者」は複数、様々にいて、当然その立場も違う。事件が起これば犯人も被害者も警察も「当事者」。では「当事者同士わかりあえる」か。立場をはっきりさせずに「当事者同士」と括るのははおかしい。また、「当事者」と「本人」も違う。「本人」はいつもひとりである。「本人たち」はおかしい。というようなことを、運転しながら考えていた。とはいえ、俺自身、「本人」「当事者」混ぜこぜにして使っていることは少なくない。自戒。

■昨日の日誌で筋少の名前を見てから、頭の中はずっと「タチムカウ」が流れている。なんとか変えようといろいろ頑張ったがダメだった。今日の脳内BGMももちろんそれだ。そんな状態で本屋に行ったら大槻ケンヂ原作『グミ・チョコレート・パイン 5 (月刊マガジンコミックスDX)』があって、思わず買ってしまった。これから読むよ。


※本日の脳内BGM:タチムカウ〜狂い咲く人間の証明筋肉少女帯