漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

時間と空間の話

■ソウアライブ仕事の後、帰宅してから不登校の学習会にオンライン参加。先週大阪でやった公開研究会の報告をした。

■内容的には日誌や通信に書いたことを話したのだが、参加者と対話しているうちに自分の中でどんどん先鋭化していったのは、何かをするという機能から離れて、人が存在する時間と空間を保障する仕組みが必要であるという考えだった。小学生・中学生である時間、親/子供という関係である時間など、子供は毎日のかなりの部分を外部から求められる役割を演じることに費やしている、という見方ができる。役割とは無縁の、ただの人間として存在する時間がベースにあるはずなのに、それは往々にして忘れられてしまう。喩えるなら、元来自然の中に街を作っているのに、ビルや家に囲まれて生きているうちに、犬猫虫もいる草木も生える雨雪も降れば風も吹く地震も起こるという自然そのものがベースにあることを無視してしまうようなものではないか。でも、そうした自然を無視して街なんか作れないわけだ。人の成長を考える時も元々の時間と空間を無視してはいけないんじゃなかろうか。

■書いてなかった先週の小咄。帰りに伊丹空港に行ってチェックインしようとスマホQRコードを機械にかざしたら「予約がありません」と表示された。コロナワクチン接種を受けてたらできる割引で取ったチケットだったが証明書を忘れたからかなあ(これも間抜けな話だが)と思ってJALの人に聞いたら、しばらく上司の人と話してから奥で確認するのでスマホを貸してくださいという。手渡してしばらく待って戻ってきた人が言うには「ワクチン証明は関係ありませんでした」と。「え、じゃあなんで」「これ、関空ですね」「…」

■チケットは一月に取ったのだけど、もうその時から一ミリも疑わず行きも帰りも伊丹空港だと思い込んでいた。日曜日の予定も、大阪で行きたかったところにちょっと寄ってその後伊丹空港までこの路線で向かって空港でご飯を食べて…とニコニコさんで計画を立てていたのだ。まさに青天の霹靂だ。愕然としていた。「もう間に合いませんね」「どどどどうしたら」「一席だけ次の千歳行きの便に残っていたので、そちらに振り替えました」いやあ、焦った。こういうのを神対応って言うんだなあと、ありがたい気持ちでいっぱいになっていたら「ところで」とJALの人が話しかけてきた。なんだろう。「はい」「関空と伊丹では空港使用料が違うのでお返ししますね」とJALの人はそう言って、ぼくに100円をくれた。形だけ見ると、空港間違えして飛行機に乗れなくなったら100円もらって別の飛行機に乗れたヨという話になった。おしまい。(火曜日)