■こんにちは、ボラスタ高橋です。今日は雨が降っています。久しぶりな気がします。せっかくの雨ですし、明るくないことでも考えようとしたら、ふと、「いつしか自分は悲しいことにケリを上手につけられるようになったかもしれない」と思いました。
■いつの間にかもう30年生きてから経ったもんで、そこそこの悲しいことは経験したこともあって、経験を頼りにうまく処理できるようになったようです。しかし、その上手さは自分にとって良いことなんでしょうか。
■以前、「自分はもっといけすかない奴だったはずだ」という話を日誌でしましたが、その時相馬さんに「そういう自分に張り付いているような根っこの感覚って大事にしたいよね」みたいなコメントをしてくれました。その話に似ています。自分は経験を元に、そういう上手なことができてしまう。だから、元々のオリジナルな感情から離れてしまっている。そんなことを思いました。
■悲しいことを悲しいまま受け止めるのは、怖いのかもしれません。だけど、「自分」が「悲しい」を観測しているので、そこにモザイクをかけてしまうのはどうなのか。そのままを見つめないといけないのでは。
■どうせ晴れたらこんなことは考えないのです。続きは雨が降ったら考えます。